070 さびしさに【令和訳百人一首】
【原文】
さびしさに 宿を立ち出でて 眺むれば
いづこも同じ 秋の夕暮れ
(良暹法師)
【個人的解釈】
寂しさに我慢できず家の外に出て辺りを見ると
どこもかしこも同じように寂しい夕暮れだ。
【感想】
”秋は夕暮れ”というフレーズは新古今時代、流行の一種だった。
新古今の美学の一つである「幽玄の世界。叙情的な景色」を表すのにふさわしかったため。
この首は、寂蓮・西行・定家の作った「三夕の歌」に並ぶ名歌とされている。
確かこの企画を始めた初期に秋の歌が続いて、「秋って寂しいってイメージはどこからきたんだろうね」みたいな気持ちを書いた気がする。
なるほど、秋はなんだか寂しいってのはここから始まったんだね。
全然この時代の和歌を嗜まない現代の若者である私たちにまで、なんだか秋の夕暮れは寂しいねってイメージが植え付けられているの、すごいよね。
別に習うわけじゃないし、もし習っていたとしても覚えてないもん。
全く面識もないし知らないけれど、1000年以上前の人たちとつながれた感じがして、エモくなりました。
最近エモイっていっとけばいい、みたいになってないかい?をかしをかし。
【令和に言い換え】
突然耐えられないくらい寂しくなって
思わず家を飛び出したけど
街のどこを見ても寂しい感じがするの。
これって秋の夕暮れのせいなの?
【自己評価】
★★★☆☆
芸術の秋、運動の秋、食欲の秋、実りの秋、寂しい秋…秋の任務重すぎない???
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