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最近観た映画の感想雑記まとめ(『プリキュアF』『ゴジラ-1.0』『BLUE GIANT』『駒田蒸留所』)

はじめに

私の名は、ツユモ。
恋愛アニメ映画マイスターを名乗っている者だ。

ここ最近、なぜか観たい作品が重なりまくり、ほぼ毎週のように映画館に足を運ぶようになっている。

映画は素晴らしい。約2時間もの間薄暗い空間で、誰と会話することもなく孤独にエンタメに向き合う体験は確実に私のQOLを上昇させている。

しかし、人間の記憶は脆く、儚い。
どんなに良い作品を見ても加速度的に記憶が失われていくのが悲しくて1年ほど前からnoteに記事をあげるようになったのだが、最近感想を書く時間が全く取れていないので、この記事でまとめてバーゲンセール形式で思ったことをまとめておこうと思う。

そして、いつもの如く「恋愛アニメ映画」の情報は全くないことは始めにお伝えしておきたい。(まあ、そもそもそんな頻繁に公開されるようなジャンルでもないしね…)

プリキュアオールスターズF


最高すぎる。


最高すぎる…!!!


…いや、ホントに最高すぎる。


マジでこの一言に尽きる作品。私はプリキュアに関してはここ数年の作品しか追っていないニワカオタクなのだが、それでもとてつもなく感動したので、初代から追ってきた筋金入りの猛者たちは多幸感の過剰摂取で絶頂して死ぬんじゃないだろうか。

上映時間は65分程度と短いながらも一切の無駄がなく中身が詰まりまくっていて、オールスターキャラ大集合系の映画の中でもトップレベルに出来が良いと思う。特に最後の10分ほどの戦闘シーンは情報量の嵐すぎる。

モチーフ繋がりの掛け合いや合体必殺技のような「うわ、オタク〜〜〜!!!!」と叫びたくなるような歴代ファン歓喜の演出をしっかり押さえながらも、『プリキュア』の原点に立ち返りシリーズとしてのあり方を問い直すようなストーリーの真面目さも兼ね備えていてまさに最強に見える。

特に終盤のサプライズ要素であるキュアプーカの誕生シーンは本当に鳥肌が立ちまくった。勇気を出せないプーカの背中を押すのが、前作のオールスターズ作品の主役であり「エール」を冠した「キュアエール」なのが最適解すぎて文句のつけようが無いし、変身シーンで一瞬ながら歴代の妖精プリキュアたちがプーカに力を与える演出も制作陣のこだわりと愛情を感じさせて最高。

プリキュアシリーズは最近でこそ「大人プリキュア」や「男子プリキュア」など異端児が続々出てきたが、戦隊やライダーなどのその他長寿子供向け枠と比べると比較的保守的に大人しく続いてきたシリーズという印象があり、話題性や目新しさよりも堅実に「いつもの」を提供するのが特徴である。
正直私などは弱いオタクなので「もっと縦軸重視・ドシリアスの深夜アニメみたいなめちゃくちゃやるプリキュアがみたいなー」と不満を募らせることも度々あった。
ただ、この作品に関してはそんな20年間も優等生を続けてきた真面目ちゃんだからこそ到達できた一つの「完成形」だなというのをひしひしと感じて、ただただその歴史の重みの前に膝を折ってひれ伏すしかなかった。(とうの昔にその辺のバランス感覚を失って、尖ることに一生懸命になったライダーではこの味は絶対に出せないだろう)

ちなみに一個だけ不満点を挙げるなら、二回目の鑑賞として「轟音上映」に行ってきた際に、通常上映と体感がほぼ変わらなかったことくらいだろうか…。「プリキュアの轟音上映」という字面の面白さに惹かれて有休とって観てきたのだが、「轟音上映」とは重低音が強調される上映形態なので、ボイスにしろ挿入歌にしろ構成する音が高音メインのプリキュアだとあんまり恩恵が無いんだな…というのがある種発見ではあった。

脱線したがとにかく、今年「イチオシの映画紹介!」的なラインナップにこの作品を挙げていない映画レビュアーは一切信用できない。一度でもプリキュアに触れたことのある人間なら絶対に観ることをオススメする。

ゴジラ-1.0

面白いし、途中感動して泣きそうにもなったのだが、何故か「気に食わん…」という不思議な気持ちになった映画。

私はもともとゴジラシリーズの筋金入りのオタクというわけでもなく「ゴジラとはこうあるべきだ!」という確たる持論も持ち合わせていないのだが、この作品について語ろうとすると『ゴジラ』ってこういうのじゃなくない?という、非常に面倒くさい理屈っぽさが全面に出てしまう。

まず不満点として、「戦後まもなく」という生きるだけで必死の時代という舞台設定もあってか、ゴジラという未知の異形生物を前にして誰も「そもそもゴジラとはなんなのか」「その目的はなんなのか」を考えようとせず、ひたすら敵国の新しい生物兵器の一つくらいの感覚で「攻略」されるのがなんだかなあ…となってしまう。しかもその割にラストシーンで「ゴジラに対して敬礼する」=命として敬意を評するのは違くない…?という微妙な違和感を覚えてしまった。

あと深読みしすぎな点もあるだろうが、基本的にシリアスなストーリー展開なのに、序盤で神木龍之介に「君の名前です!(怒)」という『君の名は。』のギャグパロっぽいセリフを言わせたり、普通に感動の大団円で終わればいいのに続編のためなのか不穏な要素を何個か残していくのも製作陣との埋められない感性のズレを感じてしまうポイントだった。

とはいえ、説明台詞の多さやメッセージのわかりやすさなど、一部のコアファンよりも大衆ウケを狙った一般娯楽映画として作られていることは随所から感じられるし、「ゴジラ映画」として構えて観なければ普通に面白い作品ではある。
登場人物のアニメっぽいキャラ付けはもちろんのこと、最後の決戦前の「思えば、これまでの日本は命を粗末にしすぎてきました」的な演説シーンなどは、この作品が伝えたかったことを超わかりやすくまとめてくれている親切さが前面に出ており、予告映像の仰々しさに反してこの作品に関しては「批評する」「考察する」とかそういう楽しみ方をするものではないんだろうなということが観ていてよく伝わった。

あと余談だが、前作の『シン・ゴジラ』がゴジラ作品として一つの完成形を提示し、そこから超絶期待が高まった中で公開される次の国産ゴジラ映画の中で、「誰かが貧乏くじ引かなきゃならねえんだ!」というセリフが強調されると、メタ的な切実さを感じて「なるほど…」と思ってしまった。

BLUE GIANT

「名作」「良質な映画体験」とはまさにこのことを言うんだろうな…と感じるくらい素晴らしい作品だった。映画館を出るとき、全員涙目だった気さえする。

仙台育ちの、ジャズに対する熱意と才能がとてつもない若者・宮本大が、東京で出会う仲間と共に音楽にひたすら打ち込む…という単純明快なストーリーなのだが、一つのことに人生全てをかける真っ直ぐな人間の生き様ってどうしてこんなにも人の心を動かすのだろうか。
下手な滝行よりも心洗われる映画だった。

…と何だか高尚な感想を並べてはいるものの、私が本作を鑑賞した経緯は実は極めて邪道である。

そもそもこの時期に「リバイバル上映」で初めて鑑賞したことから何となく察しがつくと思うが、そもそも私は原作既読のファンというわけではない。最近ハマってよく聞いている『ニュース!オモコロウォッチ』というYouTubeラジオで、本当に何の脈絡もなくこの映画がダイレクトマーケティングされまくっていたのが今作に興味を持ったきっかけである。
映画の感想ラジオでもなんでもないのに、2週にわたってアツくこの映画のことが語られており、「そんなに面白いなら騙された気持ちで試してみるか…」
という想いで、アプリで無料公開分(映画の冒頭に繋がる場面)まで読んで準備してからリバイバル上映を観に行った次第。

普段だったら積極的に観に行かない映画ジャンルではあるし、結果として騙されて普通に良かったのだが、まんまと術中にハマった感もあり少し悔しさもある…

※普通にラジオ内でネタバレがあるので注意!

そんな余談はさておき、原作において個人的にとにかく印象に残ったのが、主人公・大のサックスにかける熱量の凄まじさである。仙台から上京する場面から始まる映画版ではガッツリ省略されてしまっているが、原作内におけるその熱量は「狂気」と呼ぶに値する。
文字通り365日、雨だろうが雪だろうが大晦日だろうが、学校が終わってから毎日0時を過ぎるまで河原で何かに取り憑かれたように孤独にサックスを吹き続けるのだから、「凄い」を通り越してもはや「怖い」。

しかも大の家庭は「音楽一家」的な属性を持っているわけでもなく、親しいジャズプレイヤーの知り合いがいるわけでもない。本当に偶発的に音楽に魅せられ、のめりこんだ突然変異が大なのである。

映画でも描かれた東京編では玉田も「偶発的に音楽に魅せられた人間」の一人になる。大の練習に付き合いとして空き缶と木の枝でリズムをとったことがきっかけで音楽の楽しさに気づき、プロを目指す大と雪祈に喰らいつくために大学を留年してまで血の滲むような努力を重ねていく。(「血の滲むような」というのは、比喩ではなくドラムの練習で本当に手がボロボロになる)

可処分時間の全てを一つのことに捧げ何かを成し遂げる人間の強さを感じると同時に、たいていの人間がその「きっかけ」に気づけず死んでいくのだろうと思うと「人の人生っていったい…」という運命という概念の前での人間存在のちっぽけさを感じる作品でもあった。

駒田蒸留所へようこそ

このSNS全盛の時代、面白さよりもバズることこそが正義とも言われる令和の時代において、こんなに素朴なアニメ映画が出るとは…という驚きのあった作品。

もちろん深夜アニメファン的には、P.A.WORKSの「お仕事シリーズ」の新作というだけである程度惹きはあるのだが、それにしたって「ウイスキーの蒸留所」が舞台とはかなり攻め攻めの題材選定ではなかろうか…

馴染みのない人も多い題材であることを考慮してか、物語序盤はニュースサイトの若手記者である「高橋」が蒸留所の取材に来る、という導入で丁寧めにお仕事の紹介パートが入り、記者・高橋と蒸留所の若き女社長・琉生の実質W主人公的な形で話が進んでいく。

先述の通り題材の地味さはありつつも、「ひょんなきっかけからの二人のすれ違い・喧嘩」「漏電による火事で元酒が焼失」「修正前の記事をアップロードしてしまって謝罪」などなど、ドラマ的な盛り上がりとなるアクシデントが随所に挿入されているので最後まで飽きずに楽しむことができたし、安易に琉生と高橋の絆の深まりを恋愛的な見せ方にせず、仕事上の関係に終始させたのも好感が持てて、しみじみと「ええ作品やったのお…」という気持ちになった。


…とここまでポジティブなことばかり述べてきたが、やはり作品全体の「老人の食べ物感」「箸休め感」というか、美味いんだけどメイン料理としてはちょっと物足りないな…という感覚が無かったかというと正直嘘になる。

主人公が何かに向かって全力で走ったり、キャラが大声をあげて泣いたりといった、わかりやすく感情を揺さぶるシーンが存在するお子様ランチ的な作品じゃないとヤダ!!というわけでは決してないのだが、せっかく「NHKの朝ドラ」ではなく、「アニメ映画」という形態で上映される以上、多少はそういう熱っぽい要素も欲しかったなあと思ってしまった面もある。

特に個人的には、高橋を中心とする「仕事に対する情熱」というテーマに関してもう一段深くアツく描いて欲しかった。
物語前半において高橋は、記者という仕事に対して「好きでやってるわけじゃない」という若手らしい不満を抱えながら生きる、わかりやすくイケてない社会人として描かれる。しかし、琉生を筆頭に蒸留所の人々と関わる中で「好きで始めたことじゃなくても、必死で頑張れば見えてくるものがある」ということに気づき、仕事に対して熱意を持って取り組むようになっていき、後半には別人のようにやる気のあるキラキラした若者になる。

「お仕事もの」としてそれが正しい成長であるのは十分頭で理解できるのだが、あまりに道徳的すぎるというか、「所詮、綺麗事だよなあ」と冷笑したくなる反社会的な自分が心のどこかにいるのだ。
仕事に対して「自分の意思とは関係なくやらされているものである」「できることなら働きたくない」という負の感情は誰だって持つものだし、コイツを黙らせられるくらいの劇的なシナリオや、意外性あるもう一捻りが欲しかったな、と思ってしまうのは少し贅沢すぎるだろうか。

まあ今回の映画の主人公はあくまで琉生だしあまり掘り下げすぎると、「蒸留所のウイスキー復活」という主題からズレるので高橋関連の物語はシンプルにしたのかなとも思うが…

と、少し贅沢な不満も述べてしまったが、全体として良い雰囲気の作品だったし、90分前後の尺で一つの仕事の世界を知れるのは非常に楽しい体験だったので、今後もときどき映画形式で「お仕事シリーズ」が続いてくれたら嬉しい。

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