離婚までのカウントダウン「『え?』と思ったリアクション記憶」②
前回に引き続き書いちゃいます。
心の断捨離です。
お鍋の大根に「バカじゃねえのか」事件
まだ夫がそこまでボロを出していない結婚して数か月というタイミングでした。
夕ご飯にお鍋を作りました。
夜、帰ってきた夫にふるまっていたのですが、その時に大根を入れ忘れていたことに気づきました。
「あ、大根忘れた!」
と私が言うと
「いいよ、いいよ」
と夫が言いました。
でも、せっかく用意したわけだし、あったら絶対食べたいよね、お鍋に大根入っているの夫好きだしと思い
キッチンに行って、スライスした大根を持ってきたんです。
「ありがとう!」
とでも言ってもらえると思い込んでいました。ありがとうはないにせよ、喜んでもらえると思い込んでいました。
返ってきた答えは
「いらねえって言ってるだろうが!バカじゃねえのか!?」
でした。
最初の子が生まれて頭ビンタ
実は数々の暴力の中で、一番精神的に堪えたのがこれでした。
私は最初の子を出産したときのこと。
入院から戻って1ヶ月親たちにサポートしてもらった後の床上げから
いよいよ毎晩子どものミルクと満足に取れない睡眠と産後独特の焦燥感で
ある日私は泣きました。どうしようもないストレスとずっと抱っこしている背中の痛みと、わけのわからないあふれ出る感情、眠れない
眠っても起こされる、つらいつらいつらい・・・・。
そして、となりでいびきをかいている夫に訴えてしまったわけです。私は感情的でした。泣く赤ちゃん。いびきをかく夫。腹を立てているのか悲しいのか悔しいのか感情もよくわからない私。
夫は相当むかついたのだと思います。
私を睨みこう言いました。
「こんな頭のおかしな母親に、子どもを預けておけない!」
そういって、私が抱いていた赤ちゃんを奪い取り次の瞬間
「バッシーン!!!!!!」
思い切り平手打ちを頭に受けました。
なんなら、よしよしとなだめてくれるのでは、と期待すらしていた自分。
痛みとびっくりで、頭が真っ白になりました。
5歳の末娘の背中を思い切りたたいて聞いた娘の「オゲエ!」
別室でのやりとりなので、細かなことは覚えていません。
でも、夫が何か言ったことに対して、当時保育園の年中だった末娘が
ふざけてナメたような返答をしたのだといいます。
私は隣の部屋にいて、間の戸が開いている状態でした。
「バシン!!!」と娘の背中をたたく夫の半身が視界に映り、同時に
「オゲエ!」と聞いたこともないような末娘の声が聞こえました。
この頃には、私への暴力も当たり前になっていたものですから、心の中で猛烈な怒りを噴き上げ、それを蓋をする作業が大変だったのを覚えています。
たまらず、夫に事情をきいたら
「ナメた言い方するからだよ」
と言っていました。殺意というのは静かに全身を包むものだと知りました。
翌日にもなれば娘はケロリとしていましたが、私はといえば娘の声がずっと脳裏に焼き付いて、吐きそうになりました。
夫を八つ裂きにしたい気持ちでいっぱいになりました。
「死ね」「役に立たねえな」「頼むからどっか消えてくれ」
夫は自営業になってから仕事と趣味で大きなケガを複数回しています。
子育てが本当に大変なタイミングでしたから、私は彼をねぎらうより、ワンオペで毎日の生活を動かす方が正直大変だと思っていました。小さな子を3人連れて病院に着替えを取りにいくのも、往復で1時間半かかる距離の病院。(近所の総合病院にしてほしいとお願いしたが、義母が「遠い病院の方が腕がいいから」と言い、夫がそっちを採用した次第。でも洗濯を取りに行き、夫の欲しいものを届けるのは私の役目)
正直まいっていました。
追い打ちをかけたのは、車の渋滞で予定していた時間に間に合わなかったとき。書類に記入しないといけない時間に5分くらい間に合わないという状況で、車のなかから電話をしたときのこと。
「役に立たねえねな」
と電話口で言い放たれたことは忘れません。
こんなに必死で子どもたち連れて、時間段取りして、一人で全部やっているのに、この人はなんでこんなことが言えるんだろう、と思いました。
でも、そう思う私は心が狭い人間だと思って自分が嫌にもなりました。
そんな悪態をつくほど、夫は余裕がないのか。と私がねぎらわないといけない局面であるわけだから、と自分の心を抑えようとしました。
でも、正直言うと本当に腹が立って、とてもこの人のことが嫌いだなと思うばかりでした。
「このまま一生病院に入っていてくれたらいいのに」
正直、そう思っていました。同じころ、夫に
「死ね」
と目を見て言われました。「役に立たない」のに加え、労いのない私がふてぶてしく映ったのでしょう。実際は、私は感情を殺すのに必死だっただけなのですが。
「死ね」と夫はもう一度言ってきました。
私は聞かなかったことにして、彼の寝ているベッドを後にしました。
考えてみれば、もうすでにひどい状態になっていたのに
なぜなおもパートナーシップを回復できるかもしれないと思い込んでいたのかまったく分かりません。
1つには、そんな粗末な言葉がけをするわりに、翌日にはふつうに戻って何事もなかった「良い人」みたいに家族と触れ合っている夫がいて
「全部私の気のせいだったかもしれない」
とでも思わなくては解釈不能な状態だったことがあります。
混乱していたのだと思います。
今は思います。
嫌だったら、嫌といってよかった。誰よりも「自分」に対して。
「嫌だと思う自分の心の狭さ」を反省するために、仏教の本やらスピリチュアルの言葉、発達障害や人格障害の本を読み漁り、外側を一生懸命整えようとして、彼を理解しようとしていたのだと思います。
穏やかな時の夫はとても人間的にも豊かでおおらかに見えるので。
実際、彼の友達もみな彼をおもしろがり、愛でるような様子がよく分かります。
だからこそ、混乱して私は私を責め続けていたのだと思います。
でも、もう嫌だ。
嫌だ。
そう。
「嫌」で、いいんだよ。
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