時代のかけら:1969の響き

※1 以下の内容は昨日起こったことであるが、まとめるのに時間がかかったことから翌日に公開している。「今日」というのは公開日の前日であることを了解していただきたい。
※2 本文章のタイトルは、ChatGPT3.5の力を借りて決定した。ChatGPT3.5の案をそのまま用いたわけではないのでご容赦いただきたい。


1969年は記念碑的な年である。
ポルノグラフィティの「アポロ」や、僕が好きなGLAYで言えば「ASHES-1969-」で歌われているように、人類が月面着陸に初めて成功した年である。
当時の世界がどのような雰囲気であったかなど、いつまで生きていてもわからないと思う。
1969年はもう過ぎ去ってしまったのだから。

こんなことを今になって書き留めている理由は、今日の4限の授業にある。

4限は無知学についての(教員が言うには)日本で初めての授業である。
今日から文献購読が始まり、グループに分かれての議論が行われた。
しかし、無知学の内容そのものが上の理由なのではない。
むしろ、その理由は休憩時間にあった。

今日の授業の休憩時間は、15:55から16:05までの10分間であった。
休憩に入る前、教員が「16:00から学内の社会運動のサークルの人がその紹介をしにやってくる」と言った。
このことに、僕は既視感(既聴感?)を抱いた。
授業の途中に団体の構成員が教室に入ってきて話し出すなんて、学生運動のころの大学と全く同じではないか、と。

僕が好む村上春樹の小説には、学生運動の描写がいくつか出てくる。
戦後まもなく生まれた彼は、ちょうど学生運動のころに大学生活を送った。
授業中の教室に極左集団が突入し、演説を始め、授業が中断されるシーンが『ノルウェイの森』に描かれていたはずだ。
そんな学生運動時代の大学の1コマと、今日の4限の1コマは、僕の中でリンクした。
他の学生にとっては、明日になれば忘れてしまうほどの瑣末なことかもしれないが。

もちろん、今日の授業で「突入」してきた人は事前に教員に許可をとっていたし、(予定の5分を大幅に超過していたものの)紹介が終わるとビラを学生に配って帰っていったので、学生運動とはまったく異なるものであった。
しかし、そこに学生運動のころの雰囲気を感じたのは、僕があまりに平和で退屈な大学生活を送っているからか?

思えば、学生運動の最盛期は1969年であった。
いや、逆である。
「1969年は学生運動の最盛期であった」と言った方が正しい。
村上春樹の刷り込みによって、僕にとって1969年は何よりも学生運動の年なのである。
母の誕生の年ということが2番目に連想される。
3番目にようやく人類の偉大な一歩が刻まれるのである。

学生運動、母の誕生、月面着陸。
どれをとっても、僕にはもう55年前になる1969年の若き学生の意気、世界の高揚感、その消失を感じ取ることはできない。
1969年はまったくの異世界なのである。
しかし、その地続きに僕がいることもまた事実である。

講堂を見ればわかる。


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