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僕にとっての寺(2024/3/11)

今日の日記。

特に自己紹介はありません。
よくわからないまま、なんとなく読んでいただく中で浮かび上がる僕を
そのまま受け取ってもらえれば、
それがきっと一番僕らしい僕であろう、というような。
そういう適当な思いです。
(今日も特に何もしてません。だからまぁ、勉強机の片隅をパシャり。)

今日あったこと

・久しぶりに勉強した。
通信の授業を受けた(中央仏教学院専修課程というやつ)のと、教員採用試験に向けて小論文を一本書いた。
・読書をした。
いつもの。『現象学』(木田元)
・バイト

今日のひとこと

日記にはあまり自分のことを書くこともないのだけれど、一応人の目につくところに置いておくのだから、最低限出した情報に補足は付けようと思うのですが、
母方の祖父が寺の住職をしています。浄土真宗本願寺派です。

で、高校2年生の夏に僕は成り行きで得度して僧侶になりました。だけれど住職になるにはただ「僧侶」ではダメで、「教師」という資格が要ります。その資格のためにお勉強しなくちゃいけないので、今在籍している4年生大学とは別に通信教育3ヵ年課程に通っています。今年で3年目なので、最終の試験に今年受かれば、そのまま卒業できて、いいタイミングで教師資格を取る合宿みたいなやつ(教師習礼)にいけて、まぁハッピーって感じです。

祖父はもう80歳なので、タラタラしててもいかんということで、色々教えてもらいつつ覚悟も決めつつ。。

もう死んだおばあちゃんに、僕が中学2年生のとき
「お坊さんなってお寺継いでくれる?」
ってお願いされて、おばあちゃんっ子だった僕は軽い気持ちで
「うん、いーよ」
って言いました。
正直後悔してなくはないんですが、それでも住職になっておじいちゃんの後を継いだ姿を見て欲しかったなぁ、っておばあちゃんが死んでから数ヶ月ほど経って、ぽつぽつ思い始めました。
だから、どこかで見てくれていると信じて、
「お寺は僕に任せてね」
っておじいちゃんにも言うようにしました。


ただ、僕はいまお付き合いをしている女性がいまして、その女性とはそれなりに将来性のある話が展開されていまして、
詰まるところ、
「どこに住む?」って話が出ました。

祖父の寺は和歌山にあります。
彼女は滋賀に住んでいます。
僕は京都に住んでいます。

ん〜、なるほど困った、となるわけですよね。

彼女に言わせれば、和歌山は嫌らしい。
なぜなら津波が来るから。
もし南海トラフが来て津波が来たら、確実に埋もれる場所に寺があるのは事実です。

「じゃ、滋賀でいーよん」
となりまして、僕と彼女、2人とも
教員採用試験は滋賀で受けよう、となりました。
僕の叔父さんも新潟に寺を持つ住職さんで、でもお仕事は京都、だから毎週新幹線で新潟に帰る、という激務を日々こなしてるらしいですし、寺に住まない住職さんはなかなか多いのもこの時代周知になってきてますから、別にそこはなんともない。
僕が頑張ればいいだけの話。

ただ、ここからが悩みどころで、、


彼女は当然、今まで無宗教(つまり、何を信じているのかについて全くの無自覚、と言うことに過ぎないわけですが)でして、勿論仏教についてこれがどのような教えであるのかは全く知らないわけです。

それは当然ですが、
あまり興味もないらしい。

だから、寺が彼女にとっては
「津波が来るかもしれない場所にある古い家」
くらいの感覚でしかないのかもしれない、、

だから時折
「いつかその土地で人も少なくなったらお寺を仕舞う事もできるの?」
なんて聞いてくる。

僕は
「どうだろうね、まぁお寺は住職だけのものでもないからわからないけどねぇ〜」
となんとなくかわすのですけれども、
なかなか悲しいというのが、本音です。

僕は寺が、いろんな意味を持って僕の中で生きている。それはおばあちゃんの願いでもあり、おじいちゃんの形見(勝手に殺すな)でもあり、僕の夢でもある。
だからただそこが「でかい家」と言うわけでは当然ないし、僕が住職としてそこを引き継いだならば、掃除も行き届いていない荒んだ寺にだけは絶対にしたくない。
僕は毎週毎週休みに帰って時間を削ってでも寺を大切にしたい、と思っている。

でも、彼女はどうだろう。
「毎週土日帰っちゃったら、2人の時間がなくなっちゃう」
「そんなに頑張らなくたっていいんじゃない?」
と。
これが僕のことを思って、僕を求めてくれての言葉であるから、ただただ悲しい。

きちんと書き残しておけば、彼女は僕に身勝手な要求を強いているわけではなくて、僕が寺にも意識を保てるように精一杯サポートしようとしてくれようとしている。
でもそれは、僕が「頑張らないと”いけないから”それを頑張れるように、私も頑張る」という認識のようにも思える。

ちがうの!!!!
僕は「頑張り”たい”の!!」
もちろん頑張ることは大変で、それが分かっているから気合いも入るけれど、それは「嫌だから」とか「責任があるからどうしようもない」とかそんなことでは決してないの。


とまぁ、そういう認識の差を日々感じながら、、

でもそういう違いが面白いじゃないか、って思う僕もいて、、

ちょっと、困ったな。

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