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写真はいつも身近にあった

2024年、どうやって活動していこうと
悩み抜いた結果、
「写真いいね!」と沢山の人に言われてきた
カメラを片手に色々なところに出かけようと思いました。

写真を撮ることは本当に好きで
被写体である自分が太っていること、写ることが嫌な私は
むしろ撮る方が好きで
もっぱら家族写真は私が撮影。
屋久島に家族で行った時も、帰ってきたら私が写っているのは
ほとんどなく、唯一の写真はパパが撮ったピンボケ写真のみ。

そんなわけで私はカメラというか
その瞬間を残す、写真がずっと好きでした。

学生時代は(お金もあったしね、バイトで)
ポラロイド、フィルムカメラ(昔は安かったし)、
大学に入ったくらいからコンデジ。
就職してから一眼レフを購入したことも。
そのくらい写真はずっと好きだったけど
プロじゃないしっと思って趣味程度で留まっていました。

そして今、実家と祖父母の家の風通しにきたら
祖父のいつもいた部屋には沢山のアルバムが。
そして実家の棚からは父のカメラが
そっとそこにはありました。

おじいちゃんとはいつもアルバムを見返して
色々話をしていたんだけれど
こんなに沢山の思い出が、こんなにそばにあったのかと
おじいちゃんがいなくなった今
改めて実感。
会社の人なのかな?沢山の人がおじいちゃんの家で
笑っていたり、色々な観光地に行っていたり。

そして
私が生まれた頃の写真、幼稚園、小学校入学式の写真。
夏休みに八ヶ岳に行った写真。
自宅の庭でお昼ご飯食べている写真。
結婚式の写真。
沢山、沢山、ちゃんと貼って残してありました。

一緒に見ていたのに、なんだか不思議な感覚。

そして実家の棚からはカメラが3つ。
きっとカメラ好きやおじさま達には懐かしがってもらえる名機だと思う。
(と思ったら案外安く中古で売ってて笑ったw)
父はきっとこのカメラで私たちを撮っていてくれたのだと思うと
胸が熱くなったのです。

きっとカメラはもう錆びているし
メンテナンスしても撮れないだろうけど
紛れもなくそこにカメラは存在していて
そのカメラで撮った写真の数々は
おじいちゃんのアルバムにぎっしりとたっぷりと残っているから

きっと私はこれから何があっても大丈夫なんだと思えたよ。
おじいちゃん、また気づきをありがとうね。



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