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“コミュニケーション”は取れていない

佐原ひかりさんの『人間みたいに生きている』を読んで、"コミュニケーション"についてとても考えさせられた。


あらすじ

食べることそのものに嫌悪を覚えている女子高生・三橋唯。「食べること」と「人のつながり」はあまりに分かちがたく、孤独に自分を否定するしかなかった唯が初めて居場所を見つけたのは、食べ物の匂いがしない「吸血鬼の館」だった──。

Amazonより引用

主人公は「食べること」に嫌悪感を抱いているが、家族や友人には打ち明けられず、無理やり食べて吐くを繰り返している。

そんな中、食事をとれない病気の人と出会うなかで、居心地の良さを感じ始める。

病気の彼なら"何も言わなくても、自分をわかってくれる"と信じるけれど、2人はぶつかり合ってしまう。

私たちは普段からこんなもので応酬していたのか。投げたい球だけ投げて、取りたい球だけを取って、それを、コミュニケーションと呼んで。大切なものだ、と信じ切って。

佐原ひかりさんの『人間みたいに生きている』より

私たちが"コミュニケーション"と思っているものは、本当に相手に伝え、受け取れているのだろうか。

本心を伝えているのだろうか。伝えたいことだけを一方的に伝えていないだろうか。

表面的な相手の言葉だけを受け取っていないだろうか。


言葉は便利だが、言葉にした時点で100%純度の気持ちを相手に伝えることはできない。

上手く言語化できなかったり、上手く伝わらなかったり。そもそも、今まで違う生き方をして、価値観を持っている他人とは、100%分かり合うことはできないだろう。


家族でも恋人でも親友でも、私の気持ちを100%理解してくれる人も、私が100%わかってあげることもできない。これは、どんなに同じ時を過ごしても、勉強しても、会話してもできない。

だからこそ、繰り返し伝えて、繰り返し会話して、繰り返しぶつかって。相手と100%分かり合えないことを前提として、コミュニケーションを続けていくしかないだろう。


私は自分の気持ちが上手く伝わらなかったら、あきらめて相手が受け取ったものが正しいとして会話を進めてしまうことがある。

言っても伝わらない。または、説明するのがめんどくさいとあきらめる。

今までは表面的なコミュニケーションしか取れていなかったなと反省した。でも、その気づきを得れてよかった。


もっともっと、自分の気持ちや考えをうまく言葉にする練習がしたい。そのためにも、たくさん自分や他人と向き合うことが大切だ。


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