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【日記】夢が追いかけてくる
夢は追うものでない。毎日を精一杯生き切れば夢から追いかけてくる。それを教えてくれたのは、新日本プロレス所属のプロレスラー、内藤哲也選手である。
その懸命さが痛々しかった
2015年5月までの内藤選手は「20代でのIWGPヘビー級戴冠」という夢を掲げ、ベビーフェイスとして日々試合に臨んでいた。この夢だが、当然タイムリミットがあるため、年々内藤選手が焦っている様子が試合やバックステージコメントでも伝わってきた。
2013年にG1クライマックス制覇など結果は残しているものの、今ひとつ突き抜けられていなかった。しまいにはファンからブーイングをもらう始末。夢を追いかける姿がなんとも痛々しかった。
「制御不能な奴ら」への合流
2015年5月以降、内藤選手は変わるために単身メキシコ遠征へ行った。そのメキシコで「制御不能な奴ら」へと合流し、その後の内藤選手の「運命」を変えた。
日本へ帰国した6月以降、今までのベビーフェイスな一面は一切なくなった。レフェリーへの暴行やラフファイト、非常に長ったらしい入場など新たな一面を切り開く。
EVIL選手とBUSHI選手という新たな相棒を引き連れるなどして、内藤選手はユニットのリーダーとなった。
そして、2016年4月ついにIWGPヘビー級王座を初戴冠する。内藤選手は当時33歳であった。
内藤哲也の存在が、ベルトの存在価値を超えた
この初戴冠の試合であるが、内藤選手は介入などやりたい放題。しかし、ファンは内藤選手を圧倒的に支持した。この試合の実況で言っていたが、「夢を語らなくなった内藤哲也に対し、ファンが夢を託すようになった」ことがわかる。
2015年下半期の主役は間違いなく内藤選手であった。主役を張るうちにレスラーとしての存在がベルトの存在価値を超えて夢が追いかけてきた。
かつて、夢を追いかけていた姿は痛々しさすら感じていた。しかし、夢のために毎日を犠牲にする姿から制御不能なまでに日々自由に闘う姿にファンは共感を覚え、夢が追いかけてきた。
まとめ
夢のために日々を犠牲にする生き方でなく、日々を自由にそして精一杯生きていれば夢が追いかけてくる。闘いを通じてこれを教えてくれたのは内藤哲也選手である。
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