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『りゅうおうのおしごと!』16巻のネタバレ感想


こんにちは。しおりです。

今までラノベや映画の長文感想を書いていても一箇所にまとめられていませんでしたが、今回は表紙イラストも引用したかったので、noteに投稿することにしました。

いずれ今までの感想もこちらに転載したいです。今回の考察の根拠が書いてある記事もあるので。

今回は2022年4月に発売された『りゅうおうのおしごと!』16巻のネタバレ感想です。

各登場人物ごとの感想も書いているのですが、長くなりすぎたので次回の記事に持ち越します。

ネタバレだらけ且つ、既刊の引用も多数ありますので、最新刊の最後の一ページまで読んでから下をお読みください。

まだ読んでない方は⬇️のbookwalkerサイトからどうぞ。

『りゅうおうのおしごと!』16巻

※ヘッダーと下記の画像は著作権を考慮し、版元ドットコムより取得したものです。

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【表紙イラストの感想と考察】

〈本文読了前〉
今回は五人。中央は今回のメインキャラとなるあいちゃん。初タイトル戦に挑むべく、桜を基調にしたおそらく加賀友禅の華やかな振袖姿。
友禅は絹織物に絵筆で絵柄を描く技法です。複数の工程を経て出来上がるもので職人の技術はもちろん時間と手間がかかる為大変高価なのですが、女将であるあい母亜希奈さんが選びに選んだ、むしろ弟子入りが決まった時から来るべきタイトル戦に向けて特注してた加賀友禅……だったりしたら大変感動的ですね〜
ちなみにあいちゃんの故郷石川県七尾(雛鶴のモデル・和倉温泉加賀屋がある場所)には嫁入りの際、花嫁が嫁ぎ先の仏間に飾られた加賀友禅ののれんをくぐる『花嫁のれん』という風習があり、昔七尾観光をした際には花嫁のれん館にも行きましたし、たまたまイベントを行っていたので普段は見られない各家の色々なのれんを拝見できました。
着物の意匠には全部意味がありそれを調べるのも楽しいです。桜メインだけど襟元に紅梅、袖に花車の意匠で牡丹、雪輪、青海波も見える。

桜:豊穣、物事の始まり
梅:忍耐力、澄んだ心
花車:神を招き、幸運を呼ぶ縁起物
牡丹:百花の王で幸運、高貴、香りで邪を払う
雪輪:豊かさ
青海波:平穏な暮らしが続く
『初めての挑戦に困難を耐え忍んで幸運を得て実り豊かな生活が続いてほしい』
そういった願いの込められた着物。

左上には対局相手の釈迦堂さんがいつものドレスで王将を持っていて、エターナルクイーンの風格を見せています。
手に持っているのは白薔薇。
花言葉は色々ありますが「新たな始まり」「永遠の愛」、一本だと「一目惚れ」だそうです。
これは表紙が発表された時点で調べたのですが、本文を読み終わった後に改めて花言葉を読むとどれも当てはまっていて凄いですね…

そんな釈迦堂さんに15巻感想戦で公開プロポーズをした右上の歩夢くん。首元には歩兵と角行。いつでもマスターをサポートできるよう釈迦堂さんを視界に入れている彼が、釈迦堂さんに背を向けているところからそのプロポーズが困難な道のりであることを暗示しているように感じました。表情も苦悩しているように見えます。

そして、今回ダブルタイトル戦を行う天ちゃんが左下に小さく描かれ、その奥に背を向けた八一の姿が…
あいちゃん、釈迦堂さんは将棋の駒を持っているのに、天ちゃんは持っていないのが気にかかります…(画集表紙も一人だけ駒を持ってない…)

この表紙を初めて見た時、完全に後ろを向いてしまっている八一の構図にとても不穏な気配を感じました。12巻p158で銀子ちゃんが恐れていたことがこの巻で現実になり、14巻ではこちらに背を向けてはいてもかろうじて振り返っていた八一が『将棋の世界』に飲み込まれていこうとしているのではないか。
天ちゃんの不適な笑みとこちらを振り向いているポーズは、彼女自らが八一をその世界に導いていこうとしているように感じました。

〈本文読了後〉
16巻の本文読了後、表紙イラストを読み解く上ではこれまでの表紙イラストの変遷も考慮に入れる必要があると感じました。
「八一が後ろを向いてこちらを振り返っている構図」は1、9、14巻で繰り返し出てきた構図です。
1、9巻はあいちゃん、天ちゃんと背中合わせになっているけれど弟子たち及び読者の方を振り向いている構図。
14巻は八一とあいちゃんの「内弟子」としての決別の巻であり、袂を分つ暗喩として背中合わせになっているのだと思うのですが、それでも心配そうに振り向いています。
今回の16巻、違いがあるのは八一が全くこちらを見ていない、真後ろを向いているということ。
イラストの画面に対して真後ろを向く構図は、画集p29の「名人」と同じ構図でもある、キャラクターイラストでは普通は行わない表現だと思います。

天ちゃんが左手を伸ばしているポーズは帯を捲ると全体像が見えてきますが、と金と龍馬を投げ捨てて去って行こうとしているようにも見えます。将棋の駒を持って考えるより、PC画面上での研究を優先するという暗喩でしょうか…

『りゅうおうのおしごと!』のテーマの一つに、
『将棋の棋力だけに価値のある世界』と『人間性や人との絆も大切である世界』の対立構造がある、と私は考えています。
12巻p158 、夏祭りの体育館で銀子ちゃんがあいちゃんに対して下記のようにと言っていました。

「八一のこと、頼むわね」「本当に将棋しか見ていないから。〜そのたびに私が連れ戻しにいってたわ。あいつが『あっち側』へ行ってしまわないように」

銀子ちゃんの言う『あっち側』とは脳内将棋盤に集中し、演算に全てのリソースを割き、将棋のことだけに没入した状態のことだと思うのですが、それはある意味では将棋以外の全てのことを排除し、人間らしさや人格を度外視した『将棋中心の世界』とも言えます。
4巻のイカちゃんのことも、14巻の於鬼頭さんのことも否定し、16巻p313でも

 「この世の中には将棋と同じくらい大切なものが存在して、それは将棋を指しながらでも得られるものなんじゃないのか?」

と考えていた八一ですが、すぐ近くにいる初タイトルを勝ち取ったばかりの弟子を祝いつつ仲直りする機会を投げ打って、未知の棋譜を残したもう一人の弟子の元へ飛んでいってしまう行動を止められないこと自体が、八一の価値観が「将棋中心の世界」にあることを証明してしまったわけです。

そして、16巻感想戦で天ちゃんが八一を勧誘した先こそが『あっち側』=『将棋中心の世界』であり、天ちゃんは八一とスパコンを駆使することで両親の悲願である『将棋を終わらせる=完全解明』を行おうとしているのではないかと考えています。
「感想戦」の最後は天ちゃんの勧誘で終わり、八一のリアクションは記されていませんが、八一と天ちゃんが女流名跡戦の後日、東京の雛鶴で行われたあいちゃんの就位式に参加していないことも鑑みれば、天ちゃんは八一の勧誘に成功した可能性が高いと考えられます。
16巻の内容を読んだ上で表紙イラストを改めて見ると、中央のあいちゃん及びこのイラストを見ている読者に対して、八一は背を向けて離れていこうとしているように見える。その手前にいる天ちゃんは八一が『あっち側』に行くように導いていて、一瞬『こっち側』に振り返って「じゃあね」と別れの挨拶をしているように、私は感じました。

【ラストの展開について】

10巻ラストにも勝るとも劣らない衝撃のラストでしたが、節ごとに視点と時系列が入り乱れているので、下記にまとめました。

p376〜「もう一人の記譜」女流名跡戦最終日 八一視点 
p381〜「一杯の水」女流名跡戦最終日 あい視点
p388〜「百年後の少女」女流名跡戦最終日 八一視点、天衣と合流
p391〜「切符」女流名跡就位式(最終日の数週間後、東京雛鶴)あい視点 
p401〜「あとがき」
p405〜「感想戦」女流名跡戦最終日(「百年後の少女」の続き) 八一視点、天衣同行

つまり第五譜が始まるp304以降でp391〜400の「切符」の節だけ女流名跡戦最終日の話ではないんです。その証拠に会場が東京の雛鶴に移り、釈迦堂さん、歩夢くんは欠席しているものの、清滝親子含む主だった登場人物は出席しています。

それなのに、八一がいない。
天ちゃんもいない。

初読の時には時系列が飛んでいることにうっすらとしか気づかず「八一は天ちゃんのところに飛んで行っちゃったからいないのか〜」とあまり違和感を感じませんでしたが…
就位式はタイトルホルダーが確定した後に予定を組んで開催されるイベントのはずなので、八一の弟子がタイトルを取るのも初めてのこと(天ちゃんのタイトル戦の結果が不明ですが…)ですし、ここに師匠である八一が来ていないことは、異常事態と言っていいはず。単に自分の対局と重なったからという可能性もありますが……そもそも、あいちゃんサイドが予定を組む時に既に公開されている八一の公式戦の日程を避けられるはずなので、そんな非礼なことは流石にしないはず…
ちなみに、p399であいちゃんが言っている「あいの心の一番大きな場所を占める三人」は【八一、天ちゃん、銀子ちゃん】ではないかなと思っています。
続けて「この広い会場のどこを見ても、見つけることはできなくて。」とあるので、銀子ちゃんはともかく師匠の八一と妹弟子の天ちゃんには招待状あるいは招待メールを送ったものの無連絡欠席という可能性が高いと考えられます。

そして「感想戦」はその「切符」と「あとがき」を挟んで時系列が「百年後の少女」後、p309の続きに戻る構成になっています。
自分では全然気づきませんでしたが、感想を共有した方々が1巻から続く「感想戦」に供御飯、月夜見坂コンビが出てこない初めての巻であることに驚かれていました。

p379で天ちゃんの棋譜を見て、あいちゃんに水を渡さずに飛んで行ってしまった八一の『選択』については、色々思うところがありますが…
初読の時は、師弟のすれ違いを演出する為のシナリオであることは理解しつつも、『師弟の絆』を大事に思ってはいても『将棋の世界』を選んでしまう不条理というか、真っ当な選択が出来ずに後悔していても自分の本能から逃れられずに道を踏み外す感じが一周回って『人間』だなぁとも思いながら読んでいました。フィクションではあっても登場人物達の人間臭いところが、この『りゅうおうのおしごと!』の魅力の一つでもあると改めて感じました。

再読をする際は、
「なぜ八一は茫然自失して、初タイトルを掴み取り、もうすぐそこまで来ているあいちゃんを放置して、アポも取らずに天ちゃんの元へ飛んでいってしまったのか」
それを考えながら読みました。
最初に見た十局目の棋譜で未知の将棋に興味関心を全部持っていかれて、その時点であいちゃんと仲直りするためにそこにいることも、頭の中から消し飛んでしまったように感じました。
これまで二人の弟子のうち、あいちゃんから八一自身が得るもの(九頭竜ノートの共同執筆者、翼など)はあるけれど、天ちゃんは自分の下位互換で与えてもらえるものはない。八一が天ちゃんの将棋に見切りをつけているモノローグ(10巻p218など)もありました。
それでも弟子として大事にするのは『棋風が似た弟子は得難いもの』だからで、同居もしており全てを知り尽くしているつもりの他ならぬ天ちゃんの棋譜から自分を超える未知の将棋が飛び出してきた事に衝撃を受けたのだと思いました。

その後一局目から十局の棋譜を全部通しで見ていくうちに、八一が自分と棋風が似た弟子であることを得難いものだと思っていた天ちゃんが別人のように、むしろ人を捨てたように変容してしまったこと、同居して今までより近くにいたにも関わらずその変化に気づけなかったことへの衝撃、あいちゃんに続いて天ちゃんまで自分の予測を超えしまった混乱、大切に育ててきた『娘』が『化け物』に変貌してしまったような恐怖…そういった感情がごちゃ混ぜになっていたのではないでしょうか。
p86のあいちゃんに対する心境(元カノがいつの間にか綺麗になって取り残された)と同じ感情も根底にあるような気もします。

4/29に行った「天ちゃんを語るスペース」でもこの辺りの話題で盛り上がったのですが、AIの将棋観を取り込む為に無理のある研究、棋風の改造をしたことで天ちゃんが心身のバランスを崩すことを八一が懸念したから慌てて飛び出して行ったという側面も指摘されていました。


【清滝師匠の掛軸について】

以下、酷評が含まれますので、読みたくない方は次の※の行まで飛ばしてください。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

今回のテーマは『師弟の絆と恋愛感情は両立するか』と女性であるが故に実力を発揮することを許されずに、周囲に利用されてきた釈迦堂さんの呪いからの解放であったと思います。
ただ、終盤で感動を呼ぶ為に用いられた『清滝師匠の掛軸』のエピソードが、全体的に『プロ棋士がエゴの為に女流タイトル戦を引っ掻き回した巻』というネガティブな印象を与えることになり、読後感が悪いと感じました。

具体的には、
・清滝鋼介が『弟子が不甲斐ないから』という理由で、孫弟子の女流タイトル戦に掛軸を送りつける。
・神鍋歩夢がタイトル戦を控える師匠に対して公衆の面前でプロポーズして失敗。釈迦堂里奈女流名跡が心身共に万全の体制で対局出来なくなる。
・九頭竜八一が弟子の女流タイトル戦対局中に対局会場関係者に指示を出して座布団の位置を変更し、対局者の雛鶴あいに自分の存在と過去の教えを思い出させる。

この三点はバラバラに読めばそれぞれ事情があり、致し方ないかなと思えなくもないですが最後に…
・清滝鋼介が今回の女流名跡戦に自分の掛け軸を掛けることに拘ったのは、昔婚約破棄をした人を激励する為だった。
という冒頭p4『掛軸』の節で敷かれた叙述トリックのネタバラシが入るのですが……

あいちゃんも励まされたとは思います。思いますが、右肩上がりに発展途上の彼女にとっては『全盛期が明日』なのは当たり前のこと。このタイトルを失えば無冠になる釈迦堂さんの方によりウェイトを置いたメッセージであることは明白です。

そしてこれが入ってしまうと、
『孫弟子の為と言って断れない状況を利用し、実は恋愛関係にあった対局相手を応援していた』遠慮なく言うと『元カノに自分が応援していることをアピる為に、その対局相手が孫弟子であることを利用した』とも取れるわけで…
師弟の絆というテーマからも外れるし、この要素が入ってしまったことで「プロ棋士が女流タイトル戦に手出しし過ぎでは? 逆に女流棋士がタイトル戦中のプロ棋士に同じことしたら『感動』できる? メンヘラ扱いしない?」と思ってしまいました。

女性の為の棋戦である女流タイトル戦の名称ですら、参加資格のない男性の了承を得なければならず、男性の反対により希望が叶えられない不均衡、男女差別が長年釈迦堂さんの、ひいては女性の将棋指しを苦しめてきたと、そういう差別を批判する巻でもあるはずなのに、男性の一方的な思いから女性の重要な対局に水を差す行為に対して安易に『感動』するのでは、女性の対局を、ひいては女性を軽視したままで過去から何も変わっていない。
男性陣が相手のことを思って行ったつもりだったとしても『清滝師匠の掛軸を見ていた方が勝った』とか『歩夢がプロポーズしたから釈迦堂さんが負け、八一が座布団を遠ざけたからあいちゃんが勝てた』といったように、彼女達の才能と努力と研鑽が矮小化されてしまって巻全体の感動が減ってしまいました。
大半の読者が素直に感動したシーンだとは思うのですが、この巻が男女差別を批判する内容にしようとしていたのであればこそ、この『感動エピソード』の違和感を指摘したいと思いました。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

【今後の展開について】

次巻の内容も先の展開も読めないところが『りゅうおうのおしごと!』の楽しいところなのですが、だからこそあれこれ予想したくなります。

2巻に伏線らしきものを見つけました。2巻p54八一が月光会長に呼び出されて天ちゃんに一度会ってみると決めた後のモノローグに下記のような記載があります。

「後にこのやり取りが俺の人生と将棋界を大きく変えることになるんだが……この時はそんな事、想像すらできなかった。誰だってそんな先の事を読み切ることなんてできはしない。」「ただ一人ーー月光聖市を除いては。」

この文章の『将棋界を大きく変えること』が以前から気になっていて、2巻の展開は「棋風の似た二人目の弟子を取った」という意味で八一の人生を変えたかもしれないけど、将棋界は言い過ぎだろう…と思っていました。
16巻感想戦の後、八一が天ちゃんと共に百年後の将棋を創ろうとすることが『将棋界を大きく変えること』を意味しているとするならば、その背後には月光会長がいる事を表しているのかな…と予想しています。

また、あとがきでコンピュータ将棋開発者の方々も監修に入られたとありました。
この先の展開は『もしもスパコンのリソースを半永久的に将棋研究に当てられたら将棋の進化をどこまで速められるか』の思考実験を元にしているのかもしれません。
IT関係の知人に雑談ついでに感想戦の展開は有効なのかを聞いてみたところではスパコンの機能は現在主流となっている将棋ソフトが行なう機械学習には向いていないし、長期間占有できない為効率が悪いようですが、一応スパコン内で先手と後手を持たせてソフト同士を戦わせることは性能上可能だそうです。スパコンを機械学習に、さらには将棋ソフトに特化するように改良を重ねれば、天ちゃんの言うような『百年後の将棋を創る』こともできるのかもしれません。

ちなみに、14巻p38で雛鶴に就職した八一兄は、東大卒のアマチュア将棋ソフト開発者であると予想しており、八一のITアドバイザー(14巻p240の八一の「親しい人」)でありあいちゃんの持つ五万問の詰将棋問題集(15巻p110)も彼が作ったものではないかと私は考えています。
今後はプロ棋戦から編入試験を経てプロ棋士を目指すあいちゃんVS女流棋士のままスパコンを使い百年後の将棋を創ろうとする天ちゃんの対決になるのでは。
むしろ、アマチュア将棋ソフト開発者八一兄を擁する雛鶴家VSスパコンを駆使して将棋界への進出を推し進める夜叉神家の代理戦争に発展するのではないかと……
そして、病気療養中の銀子ちゃんはどのタイミングで再登場するのか!?

次巻の予想としては、天ちゃんは八一と何をしようとしているのかが気になります。
天ちゃんの亡くなった両親が東大(14巻登場人物紹介参照)の将棋部で知り合い同じ学部で学び、神戸でスパコンの開発(モデルは富嶽)をしていたこと、『淡路』を自分の妹と表現していることを考え合わせると、両親の代から将棋ソフトの開発を行っていた可能性もあります。
天ちゃんの両親との約束である『女王になる』は明言はされていませんが恐らく16巻で果たされていると思うので、次に視野に入れるべきは父が継げなかった夜叉神家の事業を継承することと、両親が志半ばで出来なくなった『淡路』を使った将棋の研究を継ぐことなのではないか。

その為の棋力が、自分には足りない。
だから八一を勧誘した。

両親の残した『淡路』を用いて八一を導き『将棋を終わらせること=将棋の完全解明』が彼女の、ひいては夜叉神家の最終目標で、長年棋譜の中の存在として八一と接して来た天ちゃんだからこそ、それが出来ると確信しているのではないか、と考えています。
それが例え八一の人間としての幸福に繋がらなかったとしても、天ちゃんが棋譜からずっと覗いてきた八一の魂が求めていることであればこそ、八一はその手を取らずにはいられないのではないか。
冷酷なようにも思えますが、だから一緒に住んで八一の体調管理はするけれど、八一との恋愛や彼の人間性は二の次にしようとしているのかなと思います。

本当は八一の一番好きな人になりたかった。でも、八一が告白したのは空銀子。

本当は八一の一番弟子になりたかった。でも、先に弟子入りしたのは雛鶴あい。

全てを手に入れられているようで、一番欲しいものはいつも手に入らない。

そんな彼女が考え出した『それでも八一の一番になる方法』が、両親と同じ関係である『共同研究者』なのではないか。

これから天ちゃんが目指そうとしている道は八一の唯一無二の『共同研究者』になることだと今は考えています。

次巻の発売が今から楽しみです。

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