トンパ文字おどる古城・麗江 ―中国・雲南省 母子3人紀行 #3
雲南旅行、3日目。
麗江へ向かう朝、6時に起きると窓の外はまだ暗かった。
東西に広い中国では、西へ行くほど日の出が遅くなる。ひんやりと薄暗い真夏の朝を前に、遠くまで来たことをあらためて実感した。
荷造りは昨夜のうちに済ませていた。小型のボストンバッグに、いつものリュックサック。これで2泊3日、母子3人分の荷物だ。
出かける支度をしていると、息子たちが順番に起きてきた。用意しておいた服に着替えさせ、タクシーに乗り込み、一路昆明駅へと向かった。きょうの目標は、子どもたちを連れて麗江の宿に無事たどり着くこと。昆明から麗江は、高速鉄道で約4時間の道のりだ。
朝7時半、昆明駅へ到着した。外はさすがに明るくなっていた。
駅の売店で肉まんと小籠包を買い込み、出発ゲートをくぐった。ここから子どもたちと4時間の鉄道旅を過ごすことになる。果たしてどうなることか、と前日から少しはらはらしていたけれど、おもちゃやお菓子や絵本などを次々と繰り出す戦法でなんとか4時間の旅を持ちこたえた。
高速鉄道はほぼ定刻通りに麗江駅へ到着した。そこからタクシーで麗江市内へと向かった。
30分ほど走ったあたりからだろうか、車窓から見える景色が明らかに変わってきた。道路の両側に、年季の入った伝統的な木造建築の街並みが続いていく。悠久の風雪を凌いできた紅木の、深く重厚な色合い。多くは商店で、軒先の看板には漢字とトンパ文字が併記されている。トンパ文字とは、この地に暮らすナシ族に伝わる象形文字だ。街中の看板などで今でも使われていることから、「生きた象形文字」として知られる。
美しい街並みに見とれているうち、タクシーは宿へ到着した。
チェックインして荷物を降ろし、ベッドに腰をかけると、息子たちはもう部屋に面した中庭で遊びはじめていた。とりあえず、今日のミッションを無事クリアしたことに安堵した。
しばらく部屋で休んだあと、散歩がてら旧市街のほうへ歩いて行くことにした。
麗江は少数民族のナシ族によってつくられた町で、800年以上の歴史を持つ。周辺に住むチベット族やペー族、漢族の影響なども受けながら発展してきた独自の町並みが特徴で、1997年には世界遺産にも登録されている。
旧市街の門をくぐると、瓦屋根の美しい街並みが広がっていた。石畳の道に沿うように張りめぐらされた古い水路には、近隣の山々から澄んだ雪解け水が流れ込む。通りには商店や飲食店が続き、赤提灯や色とりどりの民芸品が繁華な彩りを添える。窓べりや壁には精緻な彫刻があしらわれ、軒先の看板におどるトンパ文字とともに、町並みに繊細なディテールを加えている。
お絵かき用のノートが欲しいと長男が言ったので、とりあえず文房具屋を探して歩いていくことにした。
観光地の旧市街のど真ん中に文房具を扱う店なんてなかなか見当たらなかったけれど、気ままにぶらぶらと奥のほうまで歩いていくと、一軒の紙製品店を見つけた。そこには手漉き紙を使用したノートや雑貨、ランプシェードのようなインテリア用品まで、さまざまな紙製品が展示されていた。さらにトンパ文字の辞書や会話表現集といったおもしろい商品も置いてあった。
しばらく店内を物色したあと、手漉き紙のノートを息子たちに、そしてせっかくなのでトンパ文字の辞書を自分用に買うことにした。すると会計の後、店主がおもむろに筆をとり、購入したノートの一ページにトンパ文字で私たち家族の名前を書き入れてくださった。
細い筆先からさらさらと描き出されるトンパ文字は、息を得たように躍動してみえた。自分たちの名前がこんなふうに知らない文字で表現されることがとても興味深かったし、家族全員の漢字に対応するトンパ文字がきちんと存在するのも奇跡的だと思った。
夕方が近づいていた。旧市街を抜け、帰り道に近所の火鍋屋で夕食を囲んだ。
その後、ホテルに戻って翌日の支度をしていると、知らない番号から着信があった。出てみると、翌日予約しているツアーのガイドだった。明日のシャングリラ行きは決行、とのこと。朝6時に集合、と指示を受けた。明日も暗いうちに宿を出発するのだろう。
カラスの行水のように親子でシャワーを浴び、親子でひとつのベッドに入り、あっという間に眠りについた。