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保活惨敗とコロナ禍と私 ~復活への日々~

これはコロナ禍で人生にささやかな打撃を受けた私の、人生再建への物語である。

前回までのエピソードはこちら:

保活失敗からの、育休の無期限延長、そして無収入生活。そこから始まる、自分自身の不甲斐なさと向き合う日々。

コロナ禍によって、私の人生は小さな打撃を受けた。
人生の舵が、腕の中からすり抜けていく。
寝ても覚めても、頭の中がひたすらグルグルと渦巻いて休まらない。

その声を聴いたのは、そんな混乱のさなかのことだった。


「お前は何をそんなに絶望しているのか?」

「退職の危機を迎えたくらいで、何をそんなに嘆いているのか?」

退職を余儀なくされたとして、行き先がなくなるようなら、どのみちこの世知辛い世の中を渡り歩いていくことなど、到底できないのではないか。

コロナウイルスが悪いのではなく、ハローワークが悪いのでもなく、結局、自分に社会で通用していくスキルが足りないだけなんじゃないのか?

私は奮い立った。

それならば。


「人生の軌道修正プランを立てよう」


人生を立て直すための、闘いの日々がはじまった。



目標は、会社をクビになっても生きていける自分になることである。
そのためには、転職市場での価値を上げるか、またはフリーになっても仕事の途切れない自分にならなくてはならない。

自分には何ができるのか。 改めて自分と向き合い、キャリアの棚卸しを試みる。
しかしここへ来て、ある現実と直面し、愕然とする。

自分には何もできないという現実だ。

これまで自分の軸を「出版」と「教育」の二分野に定め、自己研鑽に励んできた。大学院に通ったり、海外で就業経験を積んだり、教育系の資格や免許の取得に励んだりと、常に学び続けてきた。結果、現職で様々な場面に対応できるほどの知識やスキルが身についた。それにより仕事が圧倒的にやりやすくなった。そして目標がどんどん広がり、仕事がどんどん楽しくなった。

しかしそれはあくまで現職における話だ。

結局自分には、社会(社外)における実績がない。その事実に初めてぶち当たり、愕然とした。

これまでインプットに膨大な労力と時間をかけてきた。そして自分の小さな世界の中でアウトプットしては満足してきた。これまではそれでよかった。しかしもはや私の状況は、いつ何時どのような理由でキャリアが突然切断されてもおかしくない。もうこのままではいけない。いくら知識やスキルを仕入れても、社会での実績がなければ仕事はもらえない。実績のない者にいきなり仕事を任せてもらえるほど、世の中甘くはない。

ではどうするか。

実績がないなら作ればいいのだ。

たとえ僅かでもいいから、フリーランスとしての実績を作らなければならない。ボランティアでもいい。あるいはその両方。機会は多ければ多いほどいい。
何でもいいから、自分に今できることをしてお金をもらい、実績を作る。

無収入生活をきっかけに、自分にはサラリーマンとしての収入しかないという当然の事実と、その恐ろしさを身をもって実感した。
明日仕事がなくなっても、家族を食べさせていける自分でなければならない。
そのためには、一社のみに頼らない、多様な収入源の確保が必要だ。

まずは手始めに、イベントで知り合った起業家から書籍翻訳の仕事を受注した。
同時に、バレエスクールをオープンした友人からウェブサイトやチラシの翻訳を引き受けた。
翻訳で身を立てるつもりは今のところないが、とにかく今自分にやれることをやるしかない。その先にしか未来は見えてこない。

同時に、元々手伝いをしていた都内の大学で、オンラインで学生のメンタリング支援を行うボランティアの募集が始まった。すかさず手を挙げる。こちらは副業というよりはボランティアだが、何がどう将来につながるか分からない。

実はこのボランティアに手を挙げたのには、もう一つ理由があった。5月以降の無収入生活において、私の小さな尊厳をかろうじてつなぎとめてくれたのは、他でもない、純粋に「社会から求められている」という実感そのものだった。学生支援のボランティアだけは、コロナ禍のゴタゴタの中でもなんとか続けてきた。大学生たちとの交流を通して、わずかでもこんな自分が誰かの役に立てていると実感できたことが、朽ち果てそうな自分の心を生き長らえさせてくれた。

6月の間に4人の学生のメンタリングを担当した。後々送られてきた学生達からの感謝のメールが、コロナ禍の打撃でささくれ立っていた私の心を温めてくれた。


かくして私のフリーランスとプロボノ生活は軌道に乗り始めた。

しかし、それだけでは足りない。
人生の起爆剤となるような、新しい学びが必要だ。
しかも理論や知識だけではない、「ご飯が食べられる」学びが自分には必要なのだ。

私はプログラミングを学ぶことにした。
理由は単純で、自分が生きる出版業界で今後需要が堅い分野だからだ。
今は特に、女性のプログラマーが足りない。既に持っている出版と教育の知識に、プログラミングスキルが加われば、一生食べていける人間に一歩近づけるかもしれない。
早速スマートフォンにプログラミングの学習アプリをインストールし、最低一日一レッスンを自分に課した。

またライティングも学び直すことにした。
これまで仕事でチラシ用の文章や広告文などを執筆してきた。しかし、原稿料を頂いて書く経験というものをしたことがない。
お金をもらえる文章を書けるように、一刻も早くならなければならない。


コロナ禍で短い転職活動をしていたとき、ある事実に直面した。

自分は文章で身を立てていきたいのだという、明白な事実だった。

もつれた頭を抱えて日々転職サイトをさまよっては、ライティングや編集関連の求人ばかりを追っていた。

あぁ、私は書きたいのだ。
こんなにも書きたいという気持ちをずるずる引き下げたまま、社会で十余年も過ごしてきたのだ。

ご飯が食べられるようにと言っても、実際のところ、何でもいいというわけじゃない。結局、私は私のやりたいことで、ご飯を食べていきたい。
かくして私はライティング教室の門を叩いた。

そして最後に、自分に最も足りないもの。それは発信力だ。

どれだけ社会の片隅でひとり頑張っていても、誰かに見つけてもらえなければ意味がない。
発信をしよう。
自分は何者で、どんなことをしている人間かということを、インターネットを介して全世界へ発信する。
勢いのまま、noteのアカウントを開設した。
ひと月の間に、5本の記事をアップした。

ゆっくりと回転をはじめたメリーゴーランドのように、人生がまた回りだした。


そんな6月末のことだった。
ずっと閉園していた子どもの保育園から、連絡が来た。7月から保育園が全面的に再開されるとの通知だった。
同じタイミングで、上司から現状を尋ねる連絡が届いた。
急遽、7月下旬での職場復帰が決まった。


******


7月20日、月曜日。晴れ。
久方ぶりのジャケットに袖を通す。
肩にはバッグ、両手にはベビーカーの押し手を握り、私は玄関を後にした。

二度の育休延長と二度にわたる保活、そしてコロナ禍の混乱の日々を経て、私はようやく職場復帰を果たした。

******

あれからちょうど3ヶ月が経った。
私は今、元気で仕事と育児の両立に精を出している。

復職後の日々は嵐のように過ぎていった。覚悟はしていたが、育休中の日々から比べると、時間の流れるスピードが3倍くらいに早くなった。
夜は疲れて子どもと8時台に床に就くようになった。天気の悪い週末などは、疲れのせいか、昼寝をしたまま夕方を迎えてしまうこともある。
家事はほどよく手抜きだ。育休中に購入したホットクックが、連日フル稼働してくれている。

当然のことだが、仕事をしているとつらいこともある。ため息とともに、思わず天井を仰ぐこともある。
それでも私は、毎日働いて子育てができることに、いま心から感謝している。

コロナ禍ではじめた新しいことは、現在でも続けている。
翻訳や校正の仕事は、仕事の合間にぼちぼち引き受けている。学生支援のボランティアにも、可能な範囲で応じている。
プログラミング学習も、隙間時間をつかってぼちぼち継続している。ライティングスクールに至っては、むしろこれから半年間が勝負だ。来年2月に修了の日を迎えるまで、駆け抜ける。
そしてこのnoteも、ご覧のとおり、ゆるやかなペースで更新を続けている。

ライティングと言えば、この秋からとあるウェブメディアで、定期的に記事を書かせてもらえることになった。念願の、原稿料を頂いて書く仕事だ。
これはコロナ禍で起こったことの中で、一番うれしいことかもしれない。


コロナ禍以降、本当に色々なことが起こった。
保活惨敗からはじまり、キャリア断絶の危機、無収入生活、そして己の不甲斐なさと向き合う日々。
しんどいこともあったが、それらを通して、人生の厳しさやありがたみを再認識した。

コロナウイルスとの共存の日々は、当面続くだろう。私の身にだって、またいつ何が起こるか分からない。

しかし一つだけ言えるのは、コロナ禍以前と今では、自分自身が少しだけ変わったということだ。

そして自分が変わったことにより、自分の周りの世界も少しだけ変わった。

きっと今後は、混乱に頭をかきむしることなく、もう少し上手に、もう少し堂々と、様々なことに対処していけるのではないかと思う。

闘いの日々は、これからも続く。

<完>

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