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保活惨敗とコロナ禍と私

我が家にその文書が届いたのは、まだ横浜港にダイヤモンドプリンセス号が停泊していた2月上旬のことだった。
封を切った瞬間、北風が通りぬけた。


保活に、敗れた。

 

「保育園落ちた日本死ね」という言葉が流行語大賞を受賞したのは2016年。
あれから3年、自分がその当事者になった。

心の奥底では、覚悟をしていたはずだった。だからこそ、無認可保育園や託児所やベビーシッターなど、あらゆるオプションを模索しては、申し込みを重ねてきた。

しかしいざ直面すると、その現実は予想以上に重くのしかかった。

昨年秋に子どもが一歳を迎え、すでに半年間の育休延長に入っていた。育休を延長できるのは残り一回。この秋までに預け先を見つけられなければ、そこでアウトだ。しかし、年度途中の空きに期待するのは、宝くじの当選に期待をかけるようなものである。

だからこそ、この春で決めなければならなかった。

これは、コロナ禍で私の身に降りかかったいくつかの小さな困難のうちの、ほんの序章だった。

本稿は、コロナ禍で人生が少しだけ変わった私の、2020年上半期の物語である。


******

今日も電話は鳴らない。
鳴らない電話を待ち続ける私の心に、恋愛のときめきは無い。

自宅を中心に東西南北。自転車で通える範囲にある認可外保育園はすべて見学し、申込書を提出してきた。しかし待てど暮らせど、どこからも良い知らせはやってこない。

意を決し、申込みを入れた保育園に片っ端から電話をかける。
お断り。
あるいはまだ選考中。
よい返事はない。

勤務先周辺や、沿線上の保育園にも、改めて片っ端からアプローチした。ほとんどの園はすでに申し込みを終了しているか、ウイルスの感染拡大を理由に見学を中止していた。そんな中、いくつか見学を受け入れてくれる園がまだ存在した。
すかさず申込みを入れる。
片っ端から見学に出向く。
見学後、やはり連絡はない。

手帳が再び保育園見学の予定で埋まっていく。今日もベビーカーを押して電車に乗り、見学に向かう。
足取りは重い。
報われる保証がない努力を、今日も重ねる。

一日が、一週間が、一ヶ月が過ぎようとしている。
だんまりを続けるスマートフォンの画面を睨む。
ニュースが、メディアが、ウイルス感染拡大の話題で溢れていく。
世の中で一体何が起こっているのか。

鳴らないスマートフォンにしびれを切らし、新たに申し込んだ保育園にまた片っ端から電話をかけていく。
お断り。
募集は終了。
「ウェイティングリストに登録させて頂きます」
「もしも途中で空きが出たらこちらからご連絡を…」

電話口の声が次第に遠ざかっていく。

ソファにもたれかかり、天井を仰ぐ。

しかし、こんなにも多くの拒否を突きつけられるのはいつぶりだ?
そう、新卒の就職活動以来だ。
いや、今回のはそれ以上だ。
連日嵐のように突きつけられる「ノー」の言葉に、頭がくらくらしてくる。
力なく携帯電話を膝元に下ろす。

ある夜、保育園のことを考えていたら胃痛が襲ってきた。
秒を追うごとに痛みは激しくなり、しまいには動けなくなる。腹部がせり出してくるようだ。針でつついたらパンクしてしまいそうなほど、激しい痛みに意識がもうろうとしてくる。

ある夜はつまらぬことで夫と諍いになった。
それが発端となったか、頭からサーッと血が引いたような感覚とともに、全身が痙攣し始めた。
気づけば床にくずおれていた。
全身の激しい痙攣がとまらない。うずくまる。
呼吸が激しくなり、コントロールすることが出来なくなる。

ある日、鏡を見ていたら自分の髪にサッと光が走ったような気がした。
何かと思い、髪に指を滑らせる。
自分の髪に白いものが一本だけ混じっていることを、その夜、初めて確認した。

妊娠中から重いお腹を引きずり、ほうぼうの保育園を訪ね歩いてきた。
きっとどこかには引っかかるだろう。そう思っていた。
これまでの人生も、努力で最終的には何とかなってきた。
たとえ最高の形でなくとも、せめて自分を納得させられる程度の成果物は、いつも手に入れてきた。

甘かったのだろうか。


******

月が変わろうとしていたある日のこと。

転機は突然訪れた。

その日も保育園見学から昼過ぎに帰宅してきた。自宅の玄関に入るなり、携帯電話が鳴るのを聞いた。見知らぬ番号だった。また荷物の配達かと、何の気なしに応答した。

あろうことか!
それは、認可外の中で第一希望にしていた、最寄りの保育園だった。

電話口の園長先生の明るい声が、女神のそれに思われた。
目の前の景色が、久方ぶりに色づき、輝きだした。

「どうか、よろしくお願い致します」

会話が終わりを迎えるころ、万感の思いでその一言を絞り出した。
子どもをベビーカーから降ろすことも忘れ、へなへなとその場に座り込んだ。


夕方、テレビをつけた。
コロナウイルスによる死者がまた一名出たというニュースが流れてきた。週明けから、全国の小中学校に対し休校が要請されるという報道が続いた。

その後のコロナウイルスの感染拡大が、その後の私にさらなる困難をもたらすことになろうとは、そして結果として私の人生を少し変えることになろうとは、その時はまだ知る由もなかった。


<続く>

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