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【SS】ありがちな夏(2343文字)

 都市部から車で約2時間、星が綺麗に見えると評判のコテージに小旅行に来た。先月退職した会社の同僚が誘ってくれたのだ。十数人の集団が小さな木の小屋になだれ込んだ。夜の飲み会用の大量のお酒や、バーベキュー用の肉と野菜が運び込まれる。

 到着して早々、コテージの横を流れる大きな川で水遊びをすることになった。水着に着替える。足の毛はしっかりと剃ってきた。川に降りる前にみんなで写真をパシャリ。大好きな掛本さんが私の後ろに立ち、私の頭に手を置いて、顎を載せてくる。掛本さんは高身長なので、女子にしては背が高い私にこんなことをするのも余裕だ。

「スタイルええなあ」

 掛本さんが私にだけ聞こえる声量で呟いた。この旅は何かあるかもしれない。直感的に思った。私が過去どれだけアプローチしても、指一本すら触れてくれなかった男の熱が残る。頭上からギラギラと照り付ける太陽の熱と混ざってしまわないように日傘を開いた。

 夜、お風呂上りにうっすらと化粧をする。アイラインは落として、パウダーを軽くはたく。色付きのリップクリームを塗って、寝巻用のショートパンツのポケットに忍ばせた。

 長い夜の始まりだ。各々の思惑を胸に潜ませながら、何年も前に大学を卒業した大のおとなたちが学生に戻る。あの頃飲んでいた安酒を「まっず」と言いながら飲む。お酒を飲むために生み出されたゲームのおかげで、大量のアルコールが体内に着実に吸収されて、限界を迎える少し前に意図的に放出される。

 二万円分のお酒が半分に減った頃、酔い覚ましにみんなで星を見に行くことになった。道路に寝転がって空を見上げると満点の星空が広がっていた。コンタクトレンズを外して度の弱い眼鏡を掛けていたので、星たちが放つ光がぼんやりと広がり一つの集合体のように見える。曖昧に、はっきりしないままに繋がりあう自分たちみたいだ。

 寝転がったちょうど右横が掛本さんで、手の甲がぶつかり合った。そのまま手を握られる。私はなんてことないふりをして「あれが夏の大三角ですよ」と、適当な星を指さして言った。

 コテージに戻ると時刻は午前2時。また酒盛りが始まったが、一時間もしないうちに二階に上がって眠りに落ちる人が増えた。どれだけ若者の真似をしても、身体は着実に変わってしまう。

 全員で雑魚寝できるはずの二階のスペースが、各人の奔放な寝方のおかげで埋まってしまった。あぶれた私と、私の同期と、そして掛本さんだけが一階で寝ることになった。同期は早々に寝てしまったので、布団に入りながら私と掛本さんのふたりで話していた。

 暗闇で、掛本さんが手を握ってきたので握り返した。掛本さんは酔っているだけなのか、それとも何かしらの感情を抱いているのかは分からなかった。私は掛本さんの手の熱が逃げないようにギュッと両手で包み込んだ。

 掛本さんが優しく私の頭を撫でた。私を抱き寄せて、大型犬が飼い主にじゃれるみたいに、髪と額の境目に鼻先をひっつけた。先程のバーベキューで髪に匂いがついてたら嫌だなと思った。その後、ついばむようにキスをされた。悪いことをしているとは思えなかった。どうしようもなく恋い焦がれてきた人と初めて触れ合えている事実がただ嬉しかった。

 たまに二階で寝ている人がトイレに降りてくると、そっと身体を離した。

 どんな流れかは忘れてしまったけれど、恋愛の話になった。「掛本さんが結婚したら寂しいなぁ」なんて我儘を言った。そして「わたし昔、掛本さんのことが好きだったんですよ」と伝えた。言ってどうなるものでもないけれど、今日伝えられたらいいなと漠然と思っていた。まさか本当に伝える機会が訪れるなんて、と内心驚いてもいた。掛本さんはなんて答えたんだっけ。私はその後「伝えたら前に進めると思って、とか言ってみる」とおどけた。

 また手を握って眠りについた。

 午前4時頃、コテージから閉め出された同僚が私の右横のガラス扉を叩く音で飛び起きた。暗闇に浮かぶ謎の人影にすっかり怯えてしまった私は、横で眠る掛本さんを起こした。とても自然に掛本さんに頼っていた。

 同僚は酔い覚ましに風に当たりに出かけていたが、戻ったときには鍵が閉まっていて入れなかったらしい。夏でも、山の夜は寒い。震える同僚を介抱して、彼が二階にあがってしまうと、掛本さんとポツポツと話し始めた。目が冴えたというよりは、この最後の晩に少しでも長く留まっていたかった。

 掛本さんはまた私を抱きしめて自分の布団に入れた。私は「最後にぎゅっとしとこ」と言って掛本さんの熱い体を強く抱きしめた。少しだけ泣きそうだった。掛本さんに顔を持ち上げられて、今度は顔をしっかり見て3回キスをした。

「悪いなぁ」 

 少しふざけて掛本さんが言った。

「悪いですね」

 私も笑った。

 掛本さんが腕枕をしてくれた。手がしびれないのか気が気じゃない私に「俺は大丈夫やで」と笑って言った。

 私はそれでも、腕枕をしてくれている掛本さんの腕を外して、抱きまくらのように両手で抱き込んだ。手を繋いで、繋いだ手を布団で隠して眠りについた。

 朝起きると、手は離れていた。

 もう二度とこの人と手を繋ぐことも、抱き合うことも、キスをすることもない。会うことすらきっとない。

 自分の薬指に輝く指輪を見つめながら思った。

「おはよう」

 何事もなかったみたいに掛本さんが言った。ずるい人だと思った。

「おはようございます」

 私も半分欠伸をしながら言った。なんて滑稽なんだろう、と思った。

 窓から外を覗くと、天気は憎らしいくらいに快晴で、澄んだ川の表面が太陽の光に反射して煌めいていた。ただ懸命に生きている、鮎かアマゴかが大きく跳ねるのが見えた。

 昨日あの命を掴み取りして食べたなあ。


*フィクションです。



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