かつて恐れたものが、美しく残る島で
「噴火はもちろん経験していますよ」と、タクシーの運転手さんは言った。車窓の外に広がる曇天の海は凶暴で、サーフィン動画でしか見たことのないような巨大な波が次々と押し寄せる。
「その日は学校が休みだったので、釣りをしてから家に帰ったんですけどね。その数時間後、釣りをしていた池が噴火でなくなってしまって」
これまで自分の人生と火山の噴火が交わったことはないから、当時の様子をもっと詳しく知りたかったものの、軽々しく聞いてはいけないような気がして口を開けなかった。
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9月の中頃、大学時代の友人3人と2年ぶりに旅行に行った。「前回は新島に行ったから、今回は伊豆七島の違う島に行こう」という流れで、程々に本州から離れていて、かつ、宿に空きがあった三宅島に決めたのだった。ほぼ下調べもしないまま、「火山島だよね」ぐらいの薄い知識だけ引っさげて、早朝の三宅島に乗り込んだ。
島特有の色や匂い、ってあると思う。日に焼けて色が褪せた人工物が点在し、それらを覆うように豊かな自然が生命力を撒き散らす。どこにいても、海の気配と山の気配を感じる。ペンションへ向かう車の中で、船酔いの名残と睡魔に襲われながらも、重なる木々の濃い緑から目が離せない。
どこまでも広がる黒い大地。これは、三宅島でしか見られない景色だ。20世紀以降も約20年ごとに1度の噴火を繰り返してきた三宅島は、あちこちに溶岩流が残っている。溶岩流が波に侵食されてメガネのような穴が空いた「メガネ岩」は、三宅島を代表する観光スポットの1つだ。
昭和58年の噴火で溶岩に埋まってしまった阿古小学校の跡は、今もそのまま残されており、遊歩道で近くまで行って見学できる。折れた鉄骨に、噴火がもたらした衝撃を思い知らされた。
島を幾度も襲った噴火。その跡地をたくさんの観光客が訪れて写真を撮っていく様は、どこか不思議でもある。恐ろしい災害のあとに残ったものが、三宅島にしかない景観を生み出している。熱を失ってこの島の大地となった溶岩流は、確かに美しいのだ。
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自然は、そこにある限り何千年という時を経ても美しいのに、人工物は脆く、やがて朽ちてしまう。人のように儚い命を持ち、時が経てば奔放な自然の中にのみこまれてしまう。
人はそれでも、つくることをやめない。つくって、壊れて、またつくって。三宅島で私は、気が遠くなるようなその人間の営みを、数千年、数万年の試行錯誤を思って呆然とする。
東京にいると忘れてしまいそうになるけれど、私たちは自然の中で生きている。その脅威とも隣合わせで。自然にのみこまれてしまう覚悟を、自分は持てているのか。それは、もしかすると明日かもしれない。
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三宅島を訪れることがあったら、ぜひ七島展望台に足を運んでほしい。
電動自転車をレンタルし、展望台に向かって漕ぎ出した私たちは、未だかつて経験したことのない急傾斜に何度も心が挫けそうになった。それでも、道中で目にした数々の景色は忘れられない。広い海を望む道で、広い空へと続く道で、私は自由だった。