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「片づけ」と「書くこと」は似ている。

先日、NHKスペシャルで"こんまり"こと近藤麻理恵さんが特集された回を見ました。
それまでこんまりさんのことはほとんど知らなかったのですが、「今"ときめく"かどうか」を軸にするやり方は、過去に見たり聞いたりしたどの方法とも違っていて興味を惹かれました。

番組で紹介されていた依頼者の方々にはうつや引きこもりといった経験があり、片づけを通して過去と向き合っていく姿に自分を重ねながら見てしまいました。

物を整理しながら、心を整理する。
片づけることで自分と向き合い、物を手放すことで過去を手放す。

片づけにセラピーの要素があるなんて、今まで思ったこともありませんでした。

一緒に見ていた母とともに感銘を受け、その日から我が家の片づけ大作戦が始まりました(現在進行中)。


"こんまり流"では「衣類から手をつける」のがポイントですが、衣類や本類はこれまで大掃除などのタイミングで頻繁に処分していたので置いておいて、長い間放置していた引き出しの中を整理することに。

自分の部屋(2階)とは別の部屋(1階)にあるその引き出しは、ほとんどゴミ箱状態。捨てるのが面倒な書類を溜め込んでいて開けるのも嫌だったので、かれこれ10年近く手をつけていませんでした。

案の定、中には学生時代のプリントやら手紙やらテストやらがたくさん。

私は高校を卒業したときに『学生時代の思い出として残すのは、この(卒業した)高校と(引っ越しをする前の)小学校低学年の記憶だけにする』と決めて、それ以来、人から学生時代のことを聞かれても「どうだったかな~忘れちゃった〜」なんて言い続けていたら、いつからか本当にほとんどのことを思い出せなくなっていました。

卒業アルバム以外の物は全て捨てたし、もう思い出させる物は何も残っていない。思い出す必要もない。そう思っていました。

配られたまま親に渡し忘れたプリントや、低い点数のテストの山に埋もれて出てきた1枚の紙。
それは、中学3年生のときにクラスでもらった寄せ書きでした。

以前『学校が"居場所"じゃなくても。』という記事で書いたように、私は中学2年から卒業までを特別学級(自分が所属する通常のクラスとは別の教室)で過ごしていました。

なので、私にとっては"思い出したくない中学の思い入れのないクラスでもらった寄せ書き"に過ぎないわけです。寄せ書きといってもペラペラの紙1枚だし。

まさかそんなものを取っておいてあるとは思わず、「捨ててなかったんかいw」なんてセルフツッコミを入れながら処分したのですが、どうもその後気分が晴れない。
どうしてだろう?と考えていると、数時間経ってからふいにその時の記憶が蘇ってきました。


中学3年生の1月。
学校の薦めで受験した高校に面接で合格した私は、家族親戚とひとしきり喜んだ後、当時やっていたブログに合格したことを書き込みました。この時からすでにネットが居場所のようなもので、ネット上の友達からはたくさん「おめでとう」「よかったね」とメッセージが送られてきました。
その翌日、いつものように特別学級で授業を受けていると、クラスの担任が鬼の形相で訪ねてきて私を連れ出しました。
小部屋で2人きりにされ、これから怒られるということは火を見るより明らかでしたが、心当たりは全くありませんでした。

「浅はかだとは思わないか?」
「浅はか…?」
「どうしてあんなことをしたんだ。言ってみろ!」
「何がですか?」
「とぼけてもムダだ。証拠だってあるぞ!」

身に覚えがないのに、いきなり声を荒げられたことに恐怖と若干の苛立ちも感じていました。

「すいません。本当に分からないです」
「…ブログだよ、ブログ。しらを切れると思っているのか?」

まさかの単語に、ポカンとする私。
そこではハンドルネームを使っていたし、私自身や学校を特定できるような情報は一切書かないようにしていたので、ブログを知っている1人か2人の友達がリークしたんだろうなあ…と思いました。

「なぜ書いた?」
「…なんかマズいこと書きましたっけ…」
「高校に受かったことをなぜ書いたかと聞いているんだ!答えろ!」
「なぜって…高校に受かったからです」
「君にはモラルというものがないのか。いいか?君みたいな生徒がなぜ高校に行けると思う?」
「…親がお金を出してくれるからです」
「バカか!情けだよ、情け。みんなは毎日教室で真面目に授業を受けているのに、君みたいな努力もしていない人が面接で受かったなんて、他の生徒が知ったらどう思う? 卒業するまで何も言うな。何も書くな。黙ってひっそり過ごすと約束しなさい!」

話が終わる頃には、顔がぐちゃぐちゃになっていました。

リアルと切り離せる唯一の居場所を知られ、土足で入られたこと。私が高校に受かってはいけなかったかのような言い方をされたこと。休みがちでクラスに行けないのは、真面目じゃないからだと思われていたこと。

…もうどの言葉に対して涙が出ているのかも分からないくらい、全部悔しかった。
だけど、何も言い返せなかった。言い返さなかった。

私は、自分が行く高校を自分の意思では決められませんでした。
「君の出席率で全日制に行くには、この高校で面接を受けるしかないよ」と言われ、了承した親が高い受験料と入学金を払ってくれたのです。

先の学校生活がどうかは入ってみないと分からないことだし、なによりそうして高校に行かせてくれる親にとても感謝していました。だからこそ合格が分かったときはホッとしたし嬉しかったです。

その日は家に帰ってすぐにブログごと消し去りました。

そして2ヶ月後。中学校生活最後のホームルームは、1年半ぶりにクラスの教室で受けました。
全くしんみりすることもなく、居心地の悪さだけを感じながらやり過ごしていると、1人ずつに寄せ書きが配られました。

「私は誰にも書いていないのに、みんな書いてくれたんだなあ」とクラスメイト達の当たり障りのないメッセージを読んでいると、目に留まった担任からの一言。いや、二言。

『高校は君が思うほど甘くない。君が変われることを祈っています。』


たくさんの折り目がついていた、この寄せ書き。

あの日、家に帰ってからくしゃくしゃにしたものの、シュレッダーに掛けるのが面倒くさかったのか。それとも、あまりの悔しさに捨てきれなかったのか。もしくはもっと他の思いがあって取っておいたのか。

いずれにせよ、開かずの引き出しにしまい込んだことで自分の中ではとっくに捨てたつもりになっていました。

シュレッダーに溜まった屑を見つめ、あの時と同じように泣きながら「きっとこれが学生時代を思って流す最後の涙だ」と思いました。



「片づけ」は「書くこと」によく似ています。

私にとって書くことは、言葉を整理しながら心を整理して、文字にすることで自分と向き合う作業。

あのときの記憶をこうして書き留めることによって、ずっと忘れられなくなってしまう。noteを見返せばいつでも蘇ってしまう。

だけど今、言葉にしたことできっと浄化されたのだと信じています。
いつかまた思い出したときは「そんなこともあったね」って笑えるように。

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