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【小説創作論】ライトノベルの魅力は曖昧さにある

 こんにちは、ウェブ小説家の皐月紫音です。

 今回は〝ライトノベルの魅力は曖昧さ〟というテーマで話していきます。

 私は固定の記事でも述べたように、基本的には創作界隈における炎上や意見の衝突からは距離をおくスタンスです。
 皆さんにもそうしていただきたいと思っています。

 ですが、今回の話では私が、自分が書くジャンルとしてライトノベルを選んでいる理由にもなりますので、それを皆様にも共有できればと思い話させていただきます。

 私はこの記事でこういう話はしたくないので、さらっと流させてもらいますが、事の発端としてはオタクを満足させるだけのものとしてライトノベル、ウェブ小説を否定した人が居て、それに反発した人が、そもそも娯楽小説を作るのにそこに意義を持ち込んだ時点で、その作品は腐るのようなポストをしたのです。

 限られた文字数の中でのポストなので、どちらもその言葉の真意はわかりません。

 私としては、どちらも個人の価値観として否定はしませんが、極論に寄っているかなという印象を受けました。

 私としては、ライトノベルの良さは、読むことで何かを深く考えさせられるような芸術的意義が深いもの、何も考えずに隙間時間に読んでドーパミンを出すようなエンタメにとことん寄ったもの、そのどちらにも寄せてバランスを取っていける曖昧さだと思っているからです。

 この場合のライトノベルとはファンタジージャンル中心の話であり、また、一般ファンタジーや所謂、なろう系と呼ばれるウェブで人気の小説は除外します。

 一般ファンタジーとなろう系にはそれぞれ、ある程度の型があり、そこから外れることは基本的に良しとされません。

 どちらにも幅はあるものの、作品構築の自由度が低いからです。

 例えば、ここで言う一般ファンタジーとは図書館で子供の頃に読んだような『ナルニア国物語』『デルトラクエスト』のようなイメージです。

 そこでルビだらけのお洒落な技名とかキャラクターに叫ばせられないですし、ラッキースケベを起こしたり、鈍感系主人公がやれやれとハーレム作ったりとかは、政治的な駆け引きではあり得ても、少なくとも軽い映写では基本的には起こり得ないかなと思います。

 なろう系作品の場合ですと、私の個人的解釈では社会的に強い立場にないものが、急にチートな能力を得たり(持っていることも)、令嬢ものならば絶世のイケメンで権力もある相手に溺愛されて、今まで自分を虐げてきた相手に復讐するというのがよくあるパターンです。

 このような作品では差はあるものの、できることできないことが多いです。

 例えば読者が見たいのは、元々馬鹿にされていたようなキャラの大逆転劇なのに、最初からキャラが容姿端麗だったり、そこそこ強かったり、性格もどんどん前に出るタイプならば作品として成り立ちにくいです。

 『魔王学院の不適合者』のような成功例もありますが、あれは一昔前の最強系ブームの系譜なので、今のものとは違うかなと感じます。

 あとはヒロインの恋心が主人公と他のキャラで揺らいだりとか、敵にも強い信念があって主人公とどっちを信じれば良いのかわからないのようなものもストレスがかかるので、基本的に好まれないですね。

 その点、ライトノベルは自由度がとても高い作品ジャンルです。

 ファンタジーにしても『グランクレスト戦記』『花守の竜の叙事詩』『飛べない蝶と空の鯱』のような一般ファンタジー、文芸に近いものから、『ゼロの使い魔』『ハイスクールD×D』のようなエンタメ性の割合がより高いものもあります。

 幅がある中で、自分の書きたいもののバランスを見極めて、完全に文芸寄りのファンタジーでも、なろう系でも作るのが難しいものでも、作り出せる面白さがラノベにはあるのではないかと私は思います。

 私も文芸寄りのファンタジーも書きますが、この自由度の高さが面白く、今はライトノベルを中心に書いています。

 ですから、個人の好き嫌いはあれど(私もそれはかなりあります)ライトノベルを完全に意義のないもの、意義があってはいけないもののように定義するのは、どうにも私にはしっくり来ませんでした。

 一応、揚げ足をとるような形にはなりたくないのでフォローを入れると、傾向として意義が無いと感じる、高確率で得るものの多い文芸の方を読むべきというのならば価値観としてわかります。(これはあくまで元ポストの一要素でして、全体としては流石に言葉が過ぎるもので容認はしかねますが)

 私は、なろう系に傾向として多い今の人生を捨てて転生してやり直す、チートスキルを得て復讐するのような考え方、また、ファンタジーとして読んだとき、これって別にファンタジーである必要あるのかなというところ(好きな作品にさえも感じている)が好きにはなれなくて、確率的に当たりの多い非なろう系の小説を選ぶことが多いです。

 売れるエンタメに意義など無用という信条も、個人のウェブ攻略法という考え方ならば良いとは思います。

 また、意義というのが純文学のような芸術的側面が強いものならば、確かにライトノベルはメッセージがシンプルな方が良いとは思います。

 私はファンタジーではありませんが、『さくら荘のペットな彼女』にはずいぶんと努力する勇気を持つという点で背中を押していただきました。

 『花守の竜の叙事詩』にはファンタジーとは、愛とは、こんなにも美しいものなのかと感銘を受けました。

 そうして、ライトノベルから多くのものを学んで得てきた身としては、ライトノベルは極端に定義してしまうと魅力がなくなってしまうのかなと感じます。

 今回は、あまり皆様にとって役立つ記事では無かったかもしれませんが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 最後になりますが、私はエブリスタでファンタジー系を中心に執筆活動をしています。

 エブリスタは、小説の書けるSNSのようなサイトです。
 是非、こちらでも繋がってください。

 小説も読んでくだされば、とても嬉しく思います!
 それでは今日も昨日よりも、少しでも前に進める1日にしていきましょう!!


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