Shio's ノート

(株)トトラボ代表。薬学博士。理学修士。植物療法について、自然・生活文化・科学の観点か…

Shio's ノート

(株)トトラボ代表。薬学博士。理学修士。植物療法について、自然・生活文化・科学の観点から学ぶセミナーやワークショップを「トトラボ植物療法の学校」にて開講。フィジーの植物を活かすFijianTrad、日本のJapanTrad、山梨の森の植物を活かす「みずともり」のプロダクツを展開。

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走ること

先日は東京にも雪が降り、日吉のヴィヴォの家でも庭の雪にアマナツの果実が映えて美しい雪景色でした。その後、晴れて暖かくなり、春の陽気が一足先に訪れたようでしたね。 そんな陽気につられてか、私はここのところ走ることを始めてみました。きっかけは陽気だけではなく、久しぶりに村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んだこと。彼はフルマラソンにも出場するランナーなので、走る人という意味で、雲の上の人なのだと思うのですが、簡単に影響をうけてしまったみたいです。 目標を決

    • トトラボ、2024年年頭のご挨拶

      2024年、新しい年が始まりました。 みなさま、いかがお過ごしですか? 昨年はトトラボの活動に大きなお力をいただき、ありがとうございました! トトラボ植物療法の学校の講座や山梨みずともりプロジェクトなどでみなさんと繋がれたこと、嬉しく思います。 昨年9月には全国ハーブサミットを山梨の早川ですることができ、早川の自然を気持ちよく味わっていただきながら、環境や暮らしと植物療法についてみなさんと考える機会を持てたことはとても嬉しかったです。いらしていただいたみなさん、心よりあり

      • 2024年、新しい年の始めに思うこと

        昨年末のあたりから、少しゆっくりと時間が動くようになって改めて思うところがあった。 ここのところの自分には少し違和感があり、思えば、昨年の私は、動きはしたけど、思考する時間が少なすぎて、人の力を使うという意味ではなまけものだったと改めて思った。 お正月をゆっくり過ごしていると、整理が進み、新しい年に改めていきたいことがふつふつと浮かんでくる。 まずは自分がしっかり立つということ。それをなくしては何事も成り立たない。あたりまえのことだけど、意識を向けることは重要だと思った。しっ

        • 永遠の消失

          今日は午前中、友人のウスダミホさんのphotographyをみに横浜のギャラリーに行ってきた。途中歩いた坂道には桐が実を付けて突くように天を指していた。 「彼女が見せてくれたアメリカ~その声と歌の秘密」というのがミホさんのテーマで、シアトルのPat Wrightさん、パットとともにいる時間を切り取った写真が並んでいた。 パットの歌は、ミホさんと知り合ってから都度聴く機会を得て、それは私にも常に大きく響くものがあった。 写真は静かにその時の空気感のようなものを伝えてくれる

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        • Shio's ノート
          Shio's ノート

        記事

          計画は未来への意思

          秋になり、朝焼けの美しさも映えて、夜の月が鮮やかな光を放っているのを感じると、私自身もこの澄んだ季節のなかで、この季節のようにしていたいと思ったりします。 夏の賑わいも静まったこの時期には、植物が実をならせるのと同じように自分の内部を深く広くしていきたいという欲求がふつふつと湧いてきて、思考する時間をつくりたくなり、少し静かに過ごしています。 みずともりラボのある山梨県早川でのハーブサミットでは、人口が日本で一番少ないという町、暮らしに寄り添う森のある町、生命の源、生活の

          計画は未来への意思

          早川での夏・ハーブサミットのこと

          夏真っ盛り、ここ神奈川は連日とっても暑い日が続いています。みなさん、いかがお過ごしですか?   私は大学の授業も終わり、なんとなく夏休みの空気を味わっています。 先週末は山梨県早川町の「みずともりラボ」にて「フォレストリトリート夏@早川」を開催しました。いらしてくださったみなさんと、森を歩いたり、染めをしたり、蒸留したり、コーディアルをつくったりと、いろいろ体験した二日間のリトリートでした。   二日間をともにしたみなさんをはじめ、ラボを訪れてくださった方々には、なんだかとて

          早川での夏・ハーブサミットのこと

          終焉の始まり

          一昨日、誕生日を迎えました。 一昨日は日吉のヴィヴォの家で、「エドワード・バッチ 魂の植物読書会」と「ゲーテ的自然認識の中での植物」の講座があり、観察と思考の一日でした。 そんな誕生日に心に残った言葉は「終焉の始まり」です。 ゲーテの講座では、花の世界がテーマ、ガクとつぼみを観察しました。無限に歩を進めて生長を続ける植物がそれをやめたときに現れるガクとつぼみ。それは終焉の始まりとも言えます。 つぼみには、未来の花びらが隙間なく包まれている。 その深奥には、眠っている太陽の

          終焉の始まり

          2023年新春

          立春も過ぎて、春が始まりました。 暦の春を迎えたら、そのとおりに少し湿った空気を感じる日が数日あり、そして今日はこのあたりにも雪が降りました。 少しずつ白い色で埋まっていく風景を見ていると、まるで新しい春のためのリセットをかけてくれているかのようで、浄化の白色に包まれることを嬉しく思いました。 ゆっくりした時間を過ごしたお正月から一か月、いよいよ新しい巡りが始まったことを実感しています。 今年はうさぎ年で私は年女。12年ごとの大きな節目を迎えました。心持はあまり変わらないよ

          WILD(野性)からWILL(意志)

          (1/19/2009記) Gary Snyderの「野性の実践」を読んでいる。彼は詩人で、ケルアックやギンズバーグらとともにアメリカのビート世代を代表する存在だ。「野性の実践」には、彼の考え方が文章の端々に詰まっていてとてもおもしろい。 言語学者でもある彼の言葉の考察はとても興味深い。彼の言う「WILD」はスピリット(魂)のようなもので、そのものに元から在る本質的な部分であると私は理解した。「WILD」の名詞形である「WILDERNESS」は「自然のままの未開の地」といった

          WILD(野性)からWILL(意志)

          禅宗って興味深いかも

          (5/5/2003記) 京都の東福寺で『禅聖典』という本を見つけた。名前からして禅宗の聖書のようなものかと思って、お寺の方に尋ねたら「お経の意味が書いてあります。」というお答え。ぱらぱらと手にとって眺めているうちに興味が深くなってきて買ってみた。2000円也。 般若心経って誰でも一度は耳にしたり口にしたりしたことがあると思う。現代語訳(?)になっている意味を読んでみて、そうだよ、そのとおり!と相槌を打ちたいところがあちこちにあるという新たな発見をした。例の最初の「観自在菩薩

          禅宗って興味深いかも

          いま立原道造を思う

          (9/18/2000記) 昨年夏の朝日新聞に立原道造記念館ができたという記事が載っていた。なんで今ごろ?と私はちょっと驚き、記事を切抜いて手帳に挟んだ。行こうと思いながら1年が過ぎた。そして先日、夏の終わりを思わせる日にふいに行きたくなって行ってみた。立原さんの文章には夏の終わりが良く似合う。根津のあたりは夏の空気が満ちていて、東大のキャンパスでは蝉が唸っていた。 その昔、10代だった私は、建築家で詩人である立原道造に夢中だった。お年玉で立原道造全集を揃え、立原道造に関する

          いま立原道造を思う

          羊博士の心意気に共感を覚える

          (12/10/1999記) またもや村上春樹もので恐縮です。「風の歌を聴け」のあと「1973年のピンボール」を読み「羊をめぐる冒険」まできた。かなり飽きてきたんだけれど、まだ読んでいる。北海道のいるかホテルに住む羊博士は、その昔、からだに羊が入り、役人をやめた経歴の持ち主だ。・・と、書くとかなり突飛だけれど、小説の中のお話だと思ってきいて欲しい。世の中を避けるように暮らす彼は、仲良くなるのがとても難しそうなアクの強い博士だ。が、彼の話には納得させられるところが多い。会うことが

          羊博士の心意気に共感を覚える

          ひさびさに風の歌を聴け

          (11/15/1999記) 先日、仕事の帰りに近所の住吉書房に寄った。シンポジウムで、風をひらくということを考えたからか「風」という文字に目がいく。風・風・風・・風のつくタイトルの本が結構あることに気づいた。五木寛之のエッセイ集だったか「風の記憶」というのがあり、なかなかいいタイトルだな~と思った。中身は知らないが、なんとなく浮かんだ風景は、セーヌ河のほとりで(行ったことはないけれど)、またねと前夫と別れる岸恵子の姿だった。所詮、風の記憶、されど風の記憶なのだと、さらっと思い

          ひさびさに風の歌を聴け

          個々に死を強制する国という存在への恐怖

          1945年の今日3月10日は東京大空襲だった。そして5月には母のいた横浜で大空襲があった。 一瞬にして何もなくなる経験をした子供だった母は、その後、ゴルバチョフの失脚にもベルリンの壁の崩壊にも、社会が動いていく様子に敏感だった。今のウクライナの状況を母が知ったらなんていうだろうか。母の悲痛な顔が目に浮かぶ。 母とほぼ同じ世代の大江健三郎は2005年8月16日付けの朝日新聞で、戦争の理不尽さを言及している。 「60年前の夏、戦争が終わった日に日本人が感じた解放感のすぐ裏側には

          個々に死を強制する国という存在への恐怖

          春はリルケで始まる

          3月になった。暖かな日と冷たい日が交互にやって来て、少しずつ空気が湿り気を帯び始めた。約束された生命が踊り始めるこの季節になると思い出す、一編の詩がある。 おののくに先立ちて  ひたすらに聴き入りて  静かなり  沈黙の中に 吾は繁りて  あまたなる梢もて  花咲かんとす  ものみなとリズムなして  舞い狂い歌わんがため 〜 大学生の頃に母からもらった手紙にこの詩が書いてあった。母の手紙には、続けてこんなことが書いてあった。 これは、志緒と拓緒(弟)の誕生に際し、耳もと

          春はリルケで始まる

          振る舞いの逆行は新たなフェーズの準備

          春になったら、植物の形成意欲の講座をまた始めようと思う。 形成意欲という言葉は、生き物が、方向を持って変容して進んでいく形の作り方の中に一つの大きな目的があり、そのための意志、意欲が根本にあることを示したものだと理解している。 その講座では、一枚の葉が完成していく振る舞いと、一つの植物が完成していくときに作る葉の配列の変化を合わせてみる。すると、それらには共通する四つの活動がみられるのだが、それらが逆行していたりすることに気づく。 一つの葉が、芽として出て、伸びて広がる、

          振る舞いの逆行は新たなフェーズの準備