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禅宗って興味深いかも

(5/5/2003記)
京都の東福寺で『禅聖典』という本を見つけた。名前からして禅宗の聖書のようなものかと思って、お寺の方に尋ねたら「お経の意味が書いてあります。」というお答え。ぱらぱらと手にとって眺めているうちに興味が深くなってきて買ってみた。2000円也。

般若心経って誰でも一度は耳にしたり口にしたりしたことがあると思う。現代語訳(?)になっている意味を読んでみて、そうだよ、そのとおり!と相槌を打ちたいところがあちこちにあるという新たな発見をした。例の最初の「観自在菩薩・・(かんじーざいぼーさつ・・)」のフレーズの意味はこうだ。

心性の自在を観察し得る人は、深広無辺の妙智に透徹するが故に、この身も心もなべて皆、実相の姿なりと悟り、目前の虚相にのみとらわれないから、一切の苦厄も障りとならなくなってしまう。

なるほど。で、ゴータマ・シッダールダはなかないいことを言うのであった。

自らを灯とし、自らをよりどころとせよ。

そうですね。それはとても大事なことだと思います。そして、座禅の意義についてはこんなことが書いてあった。

人間の悩みを根本から解決するにはどうすればよいか。端的に言って真実の自己を自覚することのほかにはない。すべての人は同一の真性をもっている。真性は真実の自性であり、また仏性でもある。つまり真実の自己であって万人万様の欲求や動きをもった通常の個別的な自己ではなく、万人がその底にもっている同一の普遍的な自性である。

座禅の意義は「自性の自覚」で広い意味では日常経験のすべてが座禅の道に通ずるのだそうだ。この真性を求める姿は、生物学であり物理学であり数学であり、つまりは哲学だね。こうやって読んでいると、禅っていうのは宗教というよりも(?宗教が何かもわからずに言いますが)、哲学だったり、道を極める精神のようなもののように思う。「あなたは神を信じますか?」と問われたアインシュタインが「私はスピノザの神を信じます。」と答えたことに通ずる。スピノザは神即自然を唱えた人だ。the natural course of universe..。

しばらく手元に置いて、言葉を拾いたい本が見つかりました。言いたいことを代弁してくれているところが多そうだから。カバーも柔らかくて心地よい手触りです。ちなみにこの本には座禅の仕方も書いてある。私もやってみようっと。しばらく続けているヨガのおかげで股関節も柔らかくなってきたし。

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