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それでも生きる

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母子家庭で育ち、母が鬱病と糖尿病で仕事ができなくなった事から、私は中学生から働き始め、19歳の時、仕事中の事故で右手前腕を失いました。 右腕を失ってから、更に厳しい現実に何度も直…
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#介護

それでも生きる(8:母の介護をする障害者)

それでも生きる(8:母の介護をする障害者)

 退院をして家に戻ってきた。
 安心感を得られるかと思ったら、そんな状況ではなかった。
 母の糖尿病の症状が悪化しており、歩くのが難しくなっていたのだ。
 母は、オムツを着用して生活をするようになっており、また、そのオムツの交換を母自身で行う事が難しく、自分がオムツの交換を行う事となった。

 利き手であった右手ほど、左手はまだ器用に動かせる段階ではなく、しかも片手でオムツを交換しなければならない

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それでも生きる(9:頼らない理由)

それでも生きる(9:頼らない理由)

 右手を失い、左手だけで母の介護をしていた時、兄の助けは借りないようにしていた。

 幼少期の頃に、母や親戚に言われていた言葉がある。

 「お母さんとお父さんの良いところは全部お兄ちゃんにいって、ともちゃん(=私)には、お母さんとお父さんの悪いところがいったね」
 という言葉である。

 例えば、
 兄は視力が良くて、自分は視力が悪い。
 兄は泳ぐ事ができて、自分は泳げない。
 兄はピアノが弾け

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