マガジンのカバー画像

それでも生きる

14
母子家庭で育ち、母が鬱病と糖尿病で仕事ができなくなった事から、私は中学生から働き始め、19歳の時、仕事中の事故で右手前腕を失いました。 右腕を失ってから、更に厳しい現実に何度も直…
運営しているクリエイター

2023年12月の記事一覧

それでも生きる(10:別れ)

それでも生きる(10:別れ)

 2002年2月。
 右手を失った事故から半年が経ったタイミングで、その出来事は突然やってきた。

 スーパーマーケットの仕事を終えた後、午後7時くらいに、友人の誕生日を祝う会が、その友人の家で行われていたので、自分もその会に参加をした。

 高校時代からの同級生の友人で、その友人は誕生日を迎えて二十歳になった。
 飲酒が可能になるという事で、友人の家には、お酒やケーキなどが用意されていた。

 

もっとみる
それでも生きる(11:レジチームが日本一を獲得するまで①)

それでも生きる(11:レジチームが日本一を獲得するまで①)

 2004年、レジの社員が退職をした関係で、自分にレジ部門の仕事が回ってきた。

 当時22歳の自分が、これから自分自身の給与をアップするために、どうやって結果を出したら良いかと考えた。

 例えば、生鮮部門や食品部門など、商品を売って利益を得る部門であれば、「売上金額から、仕入れ金額や経費を差し引いた金額」が利益となり、その利益の金額が数字として算出されるので、仕事の結果を数字でアピールする事が

もっとみる
それでも生きる(12:レジチームが日本一を獲得するまで②)

それでも生きる(12:レジチームが日本一を獲得するまで②)

 スーパーマーケットでレジのチーフとして取り組んだ事は他にもあった。
 その内の一つは、個性豊かなパートさんやアルバイトさんに働いてもらう事だ。

 小さなスーパーマーケットであり、地域に密着した形で来店客数を増やしていくには、広告や商品のラインナップ、生鮮食品の鮮度なども大事だが、自分は口コミを意識した。

 「あのスーパーのレジの人は感じが良い」「商品の取り扱いが丁寧」「元気がある」といったよ

もっとみる