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【タイ・バンコク】タイル屋のおやじとわたし

バンコクのジャルンクルン通りにあるタイル屋のおやじはわたしのダチである。


おやじとわたしの出会い


あれはまだ世界にコロナウイルスが現れる前のことだった。

夕暮れのオフィスからの帰り道、頭くらいの高さに咲いた花を摘み取るおやじに出会った。
彼はその花を「嗅げ」とわたしの鼻先に当てたあと、両手のひらに溜めた花3、4個を私のバッグに注ぎ込んでほほえんだ。

毎日通るその道が1年のうちのいっときだけ甘い香りになることは気づいていたが、
それが通り沿いに植えられた木の花からきていることはこの時まで知らなかった。

その花がアロマオイルなんかでよく聞く「イランイラン」であることも。

イランイランが植えられている道
この電線沿いの木がイランイラン

その肉厚な花びらは私の散らかったバッグの中で潰れてしまい、しばらく強く甘い香りが染み付いた。

そんな少女漫画のような出会いをしたおやじと私である。


おやじがわたしにくれたもの

いざ存在を認識してみると、おやじは毎日そこにいた。
タイルや便器を売っているお店の店主である彼は、いつも店先をホウキで掃いていたりベンチに座ってぼーっとしていたりする。

数年間毎日のようにすれ違っていながらちゃんと焦点を合わせたことがなかったおやじとわたしは、イランイランを勝手にバッグに注がれた件をキッカケに言葉を交わす仲になった。

「サワディーカー、今日もあついね、では」くらいで去るのが基本なんだけど、
週に1度くらい彼はわたしに何かくれた。

何かくれる時のおやじはわたしの姿を見つけると「待て!」というジェスチャーをして急いで店内に引っ込むのでわたしは待つ。

初めてもらったのはアメリカンチェリーだった。
それから別の日は柿、
別の日はみかん、

りんごをもらって夫に写真を送った時は
“Oh You are SNOW WHITE!(それってしらゆき姫じゃん!)“と返信が来て
たしかに!とプリンセスな気分になった。

でもしらゆき姫ならそのりんご、食べたらアカンやつ…

ものをくれる時のおやじは話が長くて、わたしは仕事に遅刻しそうになってしまう。

たいていは、君のタイ語が上達しないのはワシのような話し相手が足りないからだぞ!という話である。
全く仰る通りなので、わたしも時間さえあれば1日中おやじとお話ししたいくらいなのだが、彼と会うのは仕事に急ぐ時か家路を急ぐ時のどっちかなので、
わたしはいつも時間がなかった。

店に並べられた花札のような柄のタイル
タイルのクセが強いんじゃあ

コロナ禍のオヤジ

コロナが流行り始めてからのオヤジはちょっと気難しかった。

マスクは二重にしろとか

絶対にひとの多いところに行くなとか

ロックダウンが始まってもまだ仕事に行くわたしに
退職や帰国をすすめたりした。

あのころはみんな、もしかしたら人類やばいんか?って戦々恐々としていたからしかたない。

彼はもう手の消毒用ジェルしかくれなくなった。
いや、助かったけど。

「ふるさとのにおいじゃろ!」て
サクラの匂いのをくれたり
「ワシのお気に入り!」と
ジャスミンの匂いのをくれたり

けっきょく手が何本あっても消毒できるくらいくれた。

消毒ジェル
掃除してて発掘したおやじの消毒ジェル
ジャスミンスメル

その後、わたしも在宅勤務が叶い、たまにオフィスに行く時も車で行くようになったので彼には会えなくなった。

久しぶりにあったオヤジ

先日、久しぶりにあの道を歩いたら、おやじがいた。さいごに会ってから数年が経っていたので、彼がわたしに気づかなければそのまま通りすぎてしまおうと思った。

しかしおやじはわたしを覚えていて、
「長い間会わなかったね!」と言った。
わたしは最近この道を通らなかったこと、もうすぐ日本に1年行くことを伝えた。

おやじは「今年のタイは特に暑かったが、今そのヒートウェーブは日本に行っているから日本も一際猛暑になるよ」というようなことを言っていた。

わたしも彼ももうマスクはしていなかった

おやじが元気そうでよかった

長生きしろよ


おやじとちがっておやじの犬はわたしのことをすっかり忘れてしまったようだ。

かつては店の番犬という職務を放棄してわたしを駅のそばまで送ってくれたのに。

嘆かわしいことである

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