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千字薬-本田宗一郎から学んだことども-Ⅰ.1960年代

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ホンダのカー・デザイナーとして、経営陣のひとりとして、デザインと経営を見つめてきた経験を1エピソード、千字で書き綴った連載。(初出:1998年) 1960年代(20代–志学)
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はじめに

1997年7月、私が本田技研の本社役員を退任し、古巣である研究所のECA(主席技術顧問)を拝命。…

岩倉信弥
2年前

千字薬 第1話.東京

1963年 主任教授から大手自動車会社に、「きみを推薦したい」との話があった。教授のアートセ…

岩倉信弥
2年前

千字薬 第2話.造形室

1964年 「1週間経ちましたので、そろそろデザイン室に連れてって下さい」と、私はたまりかね…

岩倉信弥
2年前

千字薬 第3話.叱られ初め

1964年 頭上で、「こりゃあ、なんじゃ」という声が。私は座り込んで、クレイモデル(デザイン…

岩倉信弥
2年前

千字薬 第4話.線図

1964年 上司から、「ホンダS600クーペ」の線図(立体の断面を線で表した図面)作業を手伝うよ…

岩倉信弥
2年前

千字薬 第5話.木型メッキ

1964年 やっと4輪担当の一員となり、「L700」というバン(貨客車)の外観デザインチームに入…

岩倉信弥
2年前

千字薬 第6話.200ccの見せ方

1965年 「ホンダS600」の排気量をアップして800ccに。いわゆる、MMC(マイナーモデルチェンジ)の仕事が入社早々の私に巡ってきた。MMCとはいえ待望の4輪の仕事である。大いに胸が高鳴った。 今回は排気量アップだけでなく、駆動方法も変わるうえサスペンションにも変更が及ぶ。が、設計部門からは、「コストを抑えたいから、くれぐれも外板(鉄板)はいじってくれるな」ときつく釘を刺されていた。 強力なエンジンが載るのだから、付き物(艤装部品)だけで見え方を変えるとなると、ラジ

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千字薬 第7話.目標は高く

1965年 1960年代半ば、「月に1万台売れる軽乗用車をつくれ」という本田社長の号令がかかる。…

岩倉信弥
2年前

千字薬 第8話.木製簡易定盤

1965年 造形室の片隅にエンジンルームのパッケージモデルが置かれ、内部にバイクのエンジンら…

岩倉信弥
2年前

千字薬 第9話.現物(ぶつ)

1966年 「AN」いう社内呼称がつけられた「ホンダN360」のクレイモデルは、順調に作業が進んで…

岩倉信弥
2年前

千字薬 第10話.無我夢中

1966年 毎日のように、私は、狭山製作所の中にある第三工場(現在のホンダ・エンジニアリング…

岩倉信弥
2年前

第11話.知恵を出せ

1966年「ホンダN360」の開発が、艤装部品など小物デザインの段階に入った頃のこと。「アイデア…

岩倉信弥
1年前

第12話.見る、視る、観る

1966年四輪走行テスト室で、「デザインした者をここへ呼びなさい」と言って、本田さんが怒って…

岩倉信弥
1年前

第13話.色の道

1967年 「ホンダN360」は、いよいよ色を決める段階にあった。カラー・ラインアップはシンプルにしようと、立ち上がりは3色と決める。赤と白は当確であったが、「S600」の赤と白はコストが高過ぎて使えないことが分かった。彩度が高いからだという。これらをコストに見合うようディチューンし、さらに新色を1色開発することに。日ごろ本田さんから、「赤と白はね、S600に塗る時は苦労したんだよ。なにしろ、赤は消防車、白は救急車と紛らわしいから駄目だって役人が言うもんだから、赤も白も昔から

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