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千字薬 第4話.線図

1964年

004_Honda S600クーペ_n

上司から、「ホンダS600クーペ」の線図(立体の断面を線で表した図面)作業を手伝うようにと言われた。どうやら、「あいつは口を開くと、4輪をやらせろとうるさいから」という話になったらしい。造形室に大きな製図板(1.5×3メートル)が1枚持ち込まれる。車体設計の担当2人と私のたった3人、あとはデザイン室の先輩がサポートしてくれた。


道具と言えば、シナリ定規(木や樹脂の四角い細い棒。任意のカーブにしならせて、戻らぬように重りで押さえて使う。よく「しなる」のでこう呼ばれる)とネズミ(シナリ定規を固定するおもりで、「ネズミ」とよく似た形をしている。「クジラ」ともいう)、それにカーブ定規だけである。
クレイモデルも無ければ測定数値もない。あるのはS600ロードスター(2人乗りスポーツカー)のラフな線図と、これの実機をベースに針金でつくられた鳥駕籠のようなモデルだけ。つまり、測定という行程がなかった。このモデルで居住性や乗降性を検討したのだから、S600クーペのスタイルは針金でつくられたと言ってよい。


針金でできたラインから画張りを取り、それをベースとなるロードスターの図面に当て、それをなぞって線図をつくった。全く原始的なやり方である。まず、センターの断面図をつくり、続いて、最大高、最大幅の輪切りを描いたあと両サイドの窓枠の線を決め、リアのガラスの輪郭を定めた。それから、前面、側面、上面の3面調整をしながら断面の本数を増やしてゆく。
ようやくでき上がったラフな線図をもとに、木型(金型や鋳型を造るためのマスターモデル)をつくったのだが、「この図面は、おかしいじゃないか」とか、「3点が合ってない、いったいどの線が正しいんだ」とかの電話がひっきりなしで、とうとう木型室に座り込んでしまう羽目になった。


でき上がってくる木型から画張りを取って、それを線図に当て線図を修正するという作業が繰り返された。考えているものを線図にする、それが形になる、それを思ったようにさらに修正する、それをまた線図に置き換える、この繰り返しが、その後の私のデザイン活動(かたちづくり)に、どのくらい役立ったかは計り知れない。


このようにして、やっとS600クーペの形ができ上がった。S600クーペの開発とはほんの少しの関わりであったが、これが私の4輪での初めての仕事になり、この縁でその後、念願の4輪業務に携われるようになる。想いは届いたのだ。

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