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第12話.見る、視る、観る

1966年

四輪走行テスト室で、「デザインした者をここへ呼びなさい」と言って、本田さんが怒っているとの伝令が。部屋の責任者も上司も見当たらず、思い切って自分で行ってみることにした。いきなり、「これをやったのは、君か!」と。訳が分からないまま、「ハイ」と答えてしまったが後の祭り。
「ホンダN360」の試作車が置いてある。「どうして、こんなに背が高いんだ」と厳しい目。見ると確かに、デザイン室で見るクレーモデルより、どう見ても背が高い。と言うか、ボディ(車体)が車輪から浮き上がっているように見えた。しかも、後部が上がって前につんのめっている。咄嗟に、タイヤとボディの繋ぎ方に問題があると思った。
「サスペンション(懸架装置)のせいでしょうか」と答えると、「君は、ずっと見てたんだろうに」と、ますます声が大きくなった。「いえ、はじめてです」と答えようするその前に本田さんは、「すぐ、直しなさい」と言って出て行かれた。

私は気が動転して、何をどう叱られたのかよく分からなかった。そばで見ていた担当者が言うには、本田さんが来られていきなり、「格好悪い。デザイナーを呼べ」になってしまったという。こんなことで叱られるのはいい迷惑だと思ったが、以来、試作車は真剣に見なければと心に決めた。
車のボディは、ぐにゃぐにゃで不確かなサスペンションを介してタイヤの上に乗っかっているもの。頭では分かっていたが、その時はじめて、こう言うことかと思い知らされた。デザイン室のモデルをあらためて眺めてみると、つくり勝手で水平に置かれてはいるが、その水平はどういう水平(高さの設定)なのか、答えられる人間は誰もいなかった。
そんな訳だから、設計との取り決めも約束事もきちっとしたものがなく、お互い好き勝手にやっていたというのが実情で、設計の人たちもあわてて問題の試作車を見に行ったという。そこで彼らも、「それにしても、これは格好悪いね」とびっくり。お互いに相談しながらやって行こうという話になった。
その後、「格好いい位置」にボディを納めるのに、設計の人たちはずいぶん苦労したと聞く。この経験から私は、「自分でやったものは、自分の目で確かめる」ということの大切さを学び、ことにデザイナーは、「目が命」であると思い知った。


「みる」も色々だ。目で見る、身体で視る、心で観る、身体を看る、心を診る。やはり最後は、「心眼」にまで行き着くのだろう。

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