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千字薬 第7話.目標は高く

1965年

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1960年代半ば、「月に1万台売れる軽乗用車をつくれ」という本田社長の号令がかかる。この頃日本で販売されている軽乗用車は、先発4社を全部合わせても月1万台に届かない。それをいきなり全部食ってしまうような企画とはどんなものだろうと、入社2年目でデザイン担当に選ばれた私の胸は高鳴った。

新しく参入する場合、普通のマーケティング手法では、競争力の彼我比較をし、どの程度のシェアが取れるかを検証した上で台数を決めるもの。が、はなっからそんな様子はなかった。
この頃の競合車は、どれをとってもエンジンは20馬力そこそこ。大人4人が乗ると後席は相当窮屈で、トランクはほとんど無いに等しく、デザインも少々玩具っぽいものばかり。それらは40万円くらいで売られていた。
それに対して「ホンダN360」と名付けられたこの車は、馬力では5割増し以上の31馬力。大人4人がちゃんと乗れ、トランクも結構使え、その上デザインは車らしさとスポーティーさを兼ね備えていて、しかもそれが、31万5千円で売り出されたから売れないわけがない。


そんなある日、本田さんから「店を見に行ってこい」と。案の定お店の前は、札束を持って並ぶお客さんで長蛇の列。店は自転車屋に毛が生えた間口の狭いもので、車は一台も置いていない。
そこへ何台かのN360を積んだトラックがやってきた。一台ずつおろすたび手続きもそこそこに、嬉しそうな顔をしたお客さんが、ろくにセールスマンの説明も聞かずに乗って帰る姿を目の当たりにしたのである。


本田さんはそれを見てこいと言われたのだ。「お客さんの喜びを自分の喜びとする」というモノづくり哲学は、こんな形で仕事の現場で刷り込まれた。この車はその後、目標の1万台はおろかシリーズで2万5000台を達成する。
その頃、毎日のように言われた「目標は高く、評価は厳しく」は、今も、何か物事をしようとする度に蘇ってくる。N360は、まさしく「プロダクト・アウト(それまでに市場に無かったような新しい、革新的な製品を供給側が提供していくこと)」の鏡と言える。
がしかし、思うに本田さんは、「マーケット・イン(市場が求めるものを適切に提供していくこと)」の達人でもあった。今はやりのデータベースの市場把握ではなく、磨かれた鋭い5感で、「現場」「現実」を身体で知り尽くした上での「プロダクト・アウト」、「現物(モノ)」つくりであったに相違ない。

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