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千字薬-本田宗一郎から学んだことども-Ⅲ.1980年代

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ホンダのカー・デザイナーとして、経営陣のひとりとして、デザインと経営を見つめてきた経験を1エピソード、千字で書き綴った連載。(初出:1998年) 1980年代(40代–不惑)
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#ホンダシビック

第119話.だんちりや

1984年週明け、オハイオ州との公式な行事を終えた本田技研社長が、HAM(ホンダオハイオ工場)…

岩倉信弥
3年前
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第117話.禁じ手

1984年何故こんなに、量産立ち上がりが難しくなってしまったのか。振り返って考えてみると、今…

岩倉信弥
3年前
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第118話.後悔、先に立たず

1984年3代目「ホンダシビック」が間もなく、HAM(ホンダオハイオ工場)で立ち上がろうとして…

岩倉信弥
3年前

第105話.バッテリー

1983年ホンダらしいスポーティイメージをもつ若者向けの3ドアを、何とか実現して欲しいという…

岩倉信弥
3年前
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第104話.ヤング・アコード

1893年3代目「ホンダシビックシリーズ」のデザインが、そろそろ仕上がろうという頃、「アメリ…

岩倉信弥
3年前
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第102話. デザイナーは魔術師

1981年本田さんから、「一貫目なんぼ(いくら)の仕事をするんじゃない。それでもデザイナーか…

岩倉信弥
3年前

第101話.グリルレスグリル

1981年「差より違い」、という企業指針が打ち出される。3代目「ホンダシビック」のデザインが最終段階に入ろうとしていた。「違い」も「差」も、それぞれに難しい言葉。いずれもその「基準」をどこ置くかが鍵となる。いろいろと考えたが「企業指針」である以上、基準となるのはやはり「メジャーな企業」。ならば当然、日本ではT社でありアメリカではGM社となる。それらに対して、どのくらいの「違い」と「差」を付けられるのか 悔しいが客観的に見て、自分の立ち位置を、他の存在を基準に決めざるを得ない状

第100話.役割明快

1981年2代目シビックに対して、前後で約60ミリ、上下で約30ミリ小さいエンジンルームを実現し…

岩倉信弥
3年前
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第99話.核技術

1980年「山篭りをしよう」との号令が。和光のデザイン室では、3代目「ホンダシビック」の3ド…

岩倉信弥
3年前
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第96話. 入口と出口

1980年「門番がしっかりしなきゃね」と本田さんに。私がデザイン室の技術総括になって間もなく…

岩倉信弥
3年前

第97話. シビックのような

1980年青山に計画中の新本社ビル建設を担当する建設会社の方々から、「相談にのってもらいたい…

岩倉信弥
3年前
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第98話.50M -ゴーマルエム

1980年「そろそろ収斂の潮時だね」と研究所社長から。私は3代目「ホンダシビック」のLPL(機種…

岩倉信弥
3年前
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