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第98話.50M -ゴーマルエム

1980年

「そろそろ収斂の潮時だね」と研究所社長から。私は3代目「ホンダシビック」のLPL(機種開発責任者)代行を仰せつかり、シリーズ通してのコンセプトとデザイン領域を担当。同時にアメリカ市場の要望を受けて、高速道路と市街路の平均燃費が50マイル/ガロン以上という、不可能命題とも思える「超低燃費車」の検討を始めていた。
この車は「50M(ゴーマルエム)」と名付けられ、3代目シビックの先行研究の役割を合わせもち、アメリカのHRA(ホンダ米国研究所)と日本のADR(アドバンスド・デザイン・ルーム)による異質併行デザイン開発となる。
双方とも2ドアの2プラス2とし、外寸は重量軽減のため極力コンパクトにし、燃費向上に寄与する空力性能はcd.30以下という高い目標を掲げた。この空力性能の達成手法の違いによって、日米デザインスタジオのスタイルは大きく異なり、ADRは自家用ジェット機をイメージしたエアロデザイン、HRAは後方へスロープしたロングルーフスタイルを創出。
日米のどちらの案にするかについてはチームに判断を委ねられ、私がコンダクターとなって議論が進む。最初は、互いに自分たちの主張を譲らず話は平行線のまま。が、そのうちだんだんと、相手の良さが分かりあえるようになった。
並行して和光研究所では、3ドアのデザインが始まっていたが、中々新しいモチーフを生み出せない。議論の中でチームのひとりから、「50M」のロングルーフをうまく生かせば、3ドアのモチーフとして使えるのではとの提案が。  
これをきっかけに話はトントンと進み、「50M」はADRのものをベースに、そこにHRAのデザインテイストを入れ込み纏めることになる。HRAのロングルーフコンセプトは、和光研究所で進めている3ドアのデザインモチーフに使うことで話がつく。
3ドアのデザインモチーフはロングルーフスタイルと決まったものの、リヤ席の居住性を確保するためルーフの後部を持ち上げると、商用車のバンのように見えてしまい、和光研究所のデザイナーたちはこれを払拭するのに、大型ガラステールゲート(後部跳ね上げ扉)などアイデアを捻りだした。
が、3ドアのデザインを纏める上で最も効果的だったのは、なんと言っても、後に述べる「ショートノーズ・低ボンネット化技術」。これなくして、「ロングルーフスタイル」の完成はなかったろう。「うまいこと、やりやがったな」と、社長もご満悦だった。

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