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千字薬-本田宗一郎から学んだことども-Ⅲ.1980年代

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ホンダのカー・デザイナーとして、経営陣のひとりとして、デザインと経営を見つめてきた経験を1エピソード、千字で書き綴った連載。(初出:1998年) 1980年代(40代–不惑)
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記事一覧

第151話.明快さと独創性

1989年 栃木研究所の幹部を前に、「世の中が大きく変わろうとしているのに、今の研究所は100…

岩倉信弥
3年前

第150話.爽快な走り

1989年 本格スポーツカーの開発が順調に進み、目標とする性能(250馬力)も、ほぼ達成できる…

岩倉信弥
3年前
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第149話. 一念、岩をも通す

1989年 ホンダがつくる本格スポーツカーとなると、この車は好むと好まざるに関わらず、「ホン…

岩倉信弥
3年前
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第148話.本格スポーツカー

1989年 久しぶりに、本田さんが研究所に見えた。最新のモデルをご覧になりたいとのこと、私は…

岩倉信弥
3年前
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第147話. 最後発

1989年 ホンダがS600で自動車への参入を果たしたのは、東京オリンピック開催の1964年。私が入…

岩倉信弥
3年前

第146話.時には振り返れ

1989年 「人間、困った時には振り返ることだよ、私も昔、藤澤さん(本田社長時代の副社長)か…

岩倉信弥
3年前

第145話. 急・軽(QK)

1989年 開発記号「QK」という呼称のこの車は、研究所のVCR(ビークル・コンセプト・リサーチ)チーム提案の、3つのモデルの中から選ばれたもの。特急開発というので、外部の手も借りてつくられた。 開発チームは、初めての試みとして公募の形が採られる。まさに、「急(Q)・軽(K)」なり。ワンパック・ワンロット開発(営業・生産。開発メンバーが開発の最初から最後まで一体となり、試作・テストが一回だけ)と言われて、勇んで応募した連中も開発期間の短さに青くなる。 2週間でパッケージレイ

第144話. スポーツカーか高級車か

1988年 久しぶりに、本田さんがデザイン室を覗かれた。「これを見るのが目の保養、お陰で楽し…

岩倉信弥
3年前
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第143話. 身体が動けば心が動く

1988年 「岡本太郎は、芸術は爆発だと言ってるが、だったらデザインは感動だな」と本田さんが…

岩倉信弥
3年前
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第142話. 富士山

1988年 「日本人は、どうして富士山が好きなんだろうね」と本田さん。咄嗟のことに「美しいか…

岩倉信弥
3年前

第141話. お母さんのおにぎり

1987年   「腹へって死にそうだと言う人に、すき焼き肉を買いに行くから待っていてくれ、と言…

岩倉信弥
3年前
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第140話.二刀流

1988年 年に一度の商品戦略会議の席で、4代目「ホンダアコード」のエンジンをどうするかで議…

岩倉信弥
3年前
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第139話.乾坤一擲

1987年 休日だというのに研究所幹部が集まり、4代目「ホンダアコード」の企画で激論が続く。…

岩倉信弥
3年前
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第137話.幻の栃木デザイン室

1987年 和光研究所から北へ数キロほど行くと、武蔵野の面影を残す雑木林の中に平林寺という禅寺があり、その庭を借景にした「新玉」という料亭がある。同年輩の一家言ありそうな昨日ブロックを代表する連中10人余りが集められた。 3代目「ホンダシビック」シリーズの成功で元気いっぱいの頃(83年)である。真昼間だから宴会ではない。昔から、頭を切り替えたり、新しい玉(技術の種)を生み出すためによくここが使われた。 が、今回はちょっと様子が違う。本当のところは、昼に出る鰻重が旨いので、文