慎哉

生き方、暮らし方を創造実践しています 循環する仕組みを生活の中に 難しいことはしない 楽なことをする 暮らしのタネはいつも自然の中に 感覚を大事に!

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最近の記事

松脂がみせてくれた

薪割りをしていてハッとしたこと 唐松を割っていると、松なら大体そうなのだろうけれど 脂で手袋がベタベタになる あまり気持ちのいいものでもないのだが、ハッとした時はすごく愛おしく感謝に溢れた ・ (わたしの持論では、土を癒すためには松を植えることだと考えている 松の共生菌がその他の雑木の共生菌を育てるようなそんな考察に至ったからだ) ・ 草木はいつも氣前よく分け与える 人はそれを横取りしたり盗んだりするのに夢中になる 木を伐ってしまうと恩恵を捨てるようなものだ 薪を

    • 無農薬

      農作物に対して、家庭菜園に対して、農園に対して 無農薬という表現がよく使われるようになった ただ、無農薬という言葉だけがひとり歩きしていて、なにか大事なことを置き去りにしている違和感を感じて仕方がない その違和感を吐き出したいと勝手に記事を書くことにした 普通の慣行と非普通のオーガニック 農薬は普通につかうものだ 人だって病気になれば薬を飲む それと同じ だから植物も同じように手をかけて心配りをして面倒をみなくてはいけない 正論はこうだ また、 オーガニック側の意見

      • 備えというパッケージ

        生活そのものをみなおしてみる パッケージになっていない動作を探すのが難しいのではないだろうか いつもの活動がパッケージなら、 もしものときの行動もパッケージになっている そのもしもが起こったときにもしものときを想定した行動は取れるだろうか 反復で覚えさせた行動は無駄がなく素早い この利点は大きい パッケージになっているのはそういうことだろう 反復で覚えていた想定以外の場合はどうであろうか もしものときに備えて専門的になるとその専門に特化するあまり他のことが見えなくな

        • ちょっとした間(ま)

          コンビニで会計して頂く前に 「お願いします」 会計が終わって 「ありがとうございます」 絵本のような根本的で幼稚なこと どういうわけだかこれが出来ない人を多く見かける そういうわたしもハッとして反省することはしばしば どうしてなんだろう そういうときってやりたいことを置き去りにしていることがある これを書いている今もその“やりたいこと”をやり直すためにコンビニに来ている 自分に嘘をつく この言葉だけでは氣がつかないかたが多いだろう 自分を適当になだめて後回しにする

          種の雑談

          地域で種を巡らせよう 畑のイメージは予算内で…というのもつまらない話である 種取りに関して微妙な時節ではある だからこそ自分で食べる、家族で食べる、地域で食べるものは感覚で選んでいきたいところはないだろうか 今年のかぼちゃはおいしかったなー トマトはうまくいかなかったー 稲はなんだか変異株があったなーよくわからないけど楽しみ 菜っ葉は毎年いい感じだー などなど 毎年の畑は色んな顔を見せてくれる うまくいったもの うまくいかなかったもの 百性の来年には種は必須の宝物だ そ

          種の雑談

          家庭の神域

          神域は落ち着く場所である 神棚を作って、仏壇を作って それを拠り所にするのであればそこに落ち着ける意識が存在する うちには神棚は存在しない 存在するとすれば意識の拠り所になるものや言葉だろうか 先日ホームセンターで見かけた花の苗を見て寄植えが作りたくなった 作ってみるとこれが楽しくて 朝起きると箱庭の住人たちに挨拶をする 不思議と朝のご挨拶をしたくなり そこがなんだか落ち着く空間であることに氣がつく こういうことだよな神域って 朝起きて一番に向かってあいさつする場所 そ

          家庭の神域

          水場でのメッセージ

          なにかに集中している時ってメッセージを伝えるパイプになりやすい わたしの場合は炊事や掃除など水場にいるときに多い いつもは、そうなのか!?っというひらめきを時間の流れや水の流れとともに流れていってしまう 今日は昼餉をつくっているときにメッセージがきて相方に話していた すると “そんな情報を流せばいいんだよ” 相方と話していると課題がくる いつもメッセージがきてはそのままスルーしてきた 発信するのが怖かったことを面倒くさいことに被せてみないことにしていたことが思い出された こう

          水場でのメッセージ

          〇〇のために〜

          いつからか大好きな料理がやりたくないことの一つになった もともと趣味のようなもので、作ること自体嫌いになることはないだろうと思っていたのだが 時間の使い方、メンタルの向け方、思い入れ… 何だか土いじりを商売にしたときと同じような流れになっていることに氣がついた なんのためにやっているの? なにがしたいの? カウンセリングでよく使われるワードであるのだろうが、こんな状態になっているとこの言葉がめっぽうよく心に刺さる 固く締まっている状態をほぐすには、やはり鋭利なもの

          〇〇のために〜

          きぶんはパリピ

          個人的な見解ではあるが 家事ってパリピな感じですすめるとストレスがだいぶ軽減する 家事というとどんなことを思い浮かべるだろう 掃除、洗濯、炊飯 思いつくのはおそらくこの3つくらいだろう やってみると名前をつけられる家事は確かにその3つだ しかし、永遠と終わりのない作業と化してしまうことはメインで家事をしている人でないとわからない世界だろう そんな無理ゲー設定の家事なのに フルタイムの仕事と兼務するというのは もはや正気の沙汰ではない しかし やらねばならぬのよー

          きぶんはパリピ

          ひろってつくれるという…

          そこらへんのものを拾って適当につくって…そこにはクオリティなんてものは存在しない生活ってそんなものでいいのだと思う 規格なんていうものはとことん無視だ そこらへんにあるものがどれくらいのものかで決まる 迷わずに済むということ 比較しなくて済むということ そして 満足感が果てしなく大きい そこらへんのものを使うから材料費は無い 費用とすれば手間のエネルギーくらい その手間さえも楽しむことができたら… すごいことが起きる 革命は本当に足元から起きる

          ひろってつくれるという…

          ✨エシカル✨

          エシカルな… 漠然とした表現のなかではっきりと何かを伝えようとしている人が増えたのかな それは素晴らしいことだね エシカル? なんのことだろう その類のことに首を突っ込んだことになるサービスを受けた その類のことを発信していることに共感した その類の人間であると錯覚してそっち側の人間であると発信する 情報は表現だ ただし 表現に過ぎない 感じることを委託してはいないか 考えることを委託してはいないか 触れることを委託してはいないか いかにもな言葉や耳触り

          ✨エシカル✨

          オーガニック

          情報はナマモノだ そんなことを伝えてきたが何かもっと伝えるべきものがあったようだ これまで百姓を続けて来たが 生鮮ものって売ることが難しかったりする こと有機栽培や自然栽培なんて情報ばかり独り歩きして本質が伝わらないことはしばしばだ 見えない情報を扱うヒーラーも同じなのかもしれないなと 新鮮な素材としての情報は役に立つのだが 肚に落とすまでが大変だったりする どこか素材を買って料理をするのか 惣菜を買って手軽に済ませるのか そんな状態に似ているなと オーガニックの意

          オーガニック

          そのへんのもので

          何か凄いものを作ろうというのではないのだ 思い立った時に 思いつきで 適当につくる カタヒジ張らないもののほうが カタヒジ張らない生活に馴染む 楽をするって頭が凝ってしまっていると意外に難しいもの 草に触れてみよう この壁が実は厚い 素材は身のまわりに溢れているのに

          そのへんのもので

          半農半X

          半農半Xなんて無理だな 今日は久々に畑に向き合った そしてはっきりとそう思った やりたいことがあってそのために他の仕事をする 当たり前のことのようだがその考えは精神的な余裕を蝕んでいく やりたいことがあるならやりたいことを中心に計画をする 逆のパターンが推奨されているし現行そうされている 半農半Xは半分は趣味に時間を充てることが出来るという解釈ならいいと思う 現行はそうだろうか? 半分農業、半分仕事 農業って趣味でしたっけ? 生業、ですよね 仕事が趣味と語る人の

          半農半X

          感覚の解放

          ここにあるのは 感覚を解放したあとに感じることはデメリットが多く残る 主観的に本当に“キレイ”だと感じるものを“キレイ”だと言うにはそんなに度胸がいることなのだろうか それぞれにやりたいことってある 謎に出来ないという現実がある それに関係しているのは客観的に縛りつけられた感覚だ 世間様が言うところのソレと わたくしが思うところのソレ 食い違いがあると角が出そうだから黙っておこう、合わせておこう サイレントマジョリティー(物言わぬ多数派)はこうやって増えていく

          感覚の解放

          学びは力だ

          教科書だ! この本を読んでいてつくづく思う 学ぶことを忘れて日常のルーティンワークにばかりスポットをおいて、ただ不満をつまみにアルコールの快楽に走っていたのが恥ずかしく思える 問題になっているのは何なのか 根底から考えられていないアンポンタンな解決方法ばかり取っている世間とそこに付き合っているわたしは間違いなく同類項のアンポンタンだ 無知というのは社会においても環境においても罪だ 社会のなかで学問が活かされている場面は多いし、活かされていない場面はおそらくない

          学びは力だ