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新たな生活 終の棲家にするために ③ 父の2度目の脳梗塞

★1 母からの電話!

引っ越して3ヶ月が過ぎ、互いにその生活に慣れてきたある朝、突然母からの電話がなった。

お父さんが朝トイレに行った帰りベッドに乗ろうとして転んだの……と。

転んだ?
まず頭に浮かんだのは怪我……
骨折でもしたのか……今よりも歩けなくなる?
それが引き金でボケてしまう?

そんな事を考えていると、力が入らないんだって……と一言。

ああ、そういうことか…。
すぐに常駐している看護師さんを呼ぶように伝える!
私もすぐに行くからと。

車で30分、色々なことを考えながら到着。
部屋に着くと看護師さんが血圧など確認し、脱力の状態などを見てくれていた。
救急車を呼んでくれ、かかりつけの病院に打診までしてくれていた。

これまで救急車で運ばれる際、かかりつけでも病院に打診をしてからなど思いもしなかった。
心強かった。
何よりも心細く佇む母と一緒にいてくれたのがありがたかった。

ここに越してよかったと心から思った。

一方、運ばれた父はと言うと会話もでき、倒れた人間に言う言葉ではないが、元気だった。
しかし軽い脳梗塞が見つかった。
やっぱり入院となった。

★2 お留守番の母!

父が入院して母が一人になった。

入院の色々でバタバタしているうちは母も気を張っていたのと、いわゆるランナーズハイと言われるもののせいか割りと気丈にしていた。

がそれも1週間は持たなかった。
腰が痛いと言い出したのだ。
なんと母、火事場の馬鹿力で父をベッドに運んだらしい(驚)

そりゃ〜腰も痛くなるわ(汗)
整形外科の通院が増えた……。

そして、腰が痛いので動けない。
動けないせいで神経が過敏になった、自分が死んでいたら困るからと自らの生存報告の電話が朝も来るようになった(笑)

父の病院と母の住むところ、正反対の位置に30分。少しのことで呼ぼれることに辟易してきた(涙)
世間はいわゆる師走。
当然私も忙しい。
仕方ない、母を家に連れてこよう。

年末年始は母との同居となった。
生活時間が違う母に合わせ、就寝時間が早くなった。
夜中にしていた事務仕事が出来ない。
前にも増して集中して仕事をこなさねば!
師走だ、師走だ、師走だ〜。
時間が経てば、年末も年始も勝手に来るもんだ。

なんとか年が開けた。
私の仕事が始まると同時に母は帰っていった。
とてつもなく不安な顔をして…。

父はまだまだ退院しない。
そしてコロナ禍、見舞うことも許されない(涙)
母の初めての一人暮らしが始まった!




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