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連鎖反応 [Chain Reaction]【動画】

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つながりのある曲を鎖のように連ねながら、その曲に対する思いをコメントしていきます。ほぼ毎日更新(予定)です。
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2021年12月の記事一覧

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361: Happy Xmas (War Is Over) / John & Yoko/Plastic Ono Band

ポールのクリスマスソングはあまり有名ではないと、昨日書きましたが、では、「ロック・ミュージシャンのオリジナル・クリスマスソングで、もっとも有名なものは何か?」と考えると、ビートルズ時代の盟友、ジョン・レノン作のこの曲が大本命であろうと思われます。 この曲がリリースされたのは1971年12月なので、ちょうど半世紀前ということになります。また、サブタイトルが示すように、ヴェトナム戦争に反対するプロテスト・ソングでもありました。 この曲、版権の関係でUKでのリリースは1972年で、当時の最高位は4位でした。1980年にジョンが暗殺された後、2位となり、最高位を更新します。ちなみに、その時の1位は、同じくジョンの「イマジン」でした。 毎年、年末になると、色々なところでこの曲を聴きます。今や「クリスマス・スタンダード」と言ってよいでしょう。

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360: Paul McCartney / Wonderful Christmastime

《ネット環境が整ったのをいいことに、昨日はオンライン忘年会を楽しみ、更新が遅れてしまいました...12/29分です》 私事ですが、今年の年末は、異動のために会社の荷物整理と自宅の引越しに追われ、バタバタしてるうちに過ぎてしまいました。クリスマス・イヴ当日に引越しをしたこともあり、クリスマス気分は微塵も味わえませんでした。 ということで、数日遅れですが、このクリスマス・ソングを。 この曲は、『マッカートニーⅡ』のレコーディングと同時期に制作され、1979年11月にポール・マッカートニーのソロとしてリリースされました。 作詞・作曲、歌と演奏、すべてをポール1人で行っている、完全なソロ作品です(MVにはウイングスのメンバーが登場していますが)。 セールス面では、UK6位/US28位と、ポールにしては地味なチャートアクションですし、様々なミュージシャンが残してきた歴史的なクリスマスソングと比較すると、知名度も決して高くはないように思います。 また、評価も分かれていますが、曲や演奏が稚拙すぎるという、否定的な内容の方が多いようです。 ただ、クリスマスソングですから、そんな小難しいことを歌わなくていいように思いますし、難解な楽曲を高度な技術で演奏する必要もないでしょう。 超大物ミュージシャンでありながら、これまでの名声や周囲の評価を気にせず、単純にその時自分がやりたいと思ったことをやる、ということを、普通に出来るところが、ポールらしいように思います。

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359: Paul McCartney / Coming Up

昨日のスウェードの曲はアルバム『カミング・アップ』収録曲でしたが、このタイトルで最も有名なのは、この曲で間違いないと思います。 1980年、2枚目のソロアルバム『マッカートニーⅡ』からの先行シングルとしてリリースされ、UK2位/US1位の大ヒットを記録しました。 そして、ポールが10役(リンダが2役)をこなしているMVも、話題となりました。誰の真似をしているのか、すぐに分かる人も多いですね。 もっとも、スタジオでのレコーディングは、リンダがコーラスで参加した以外は、すべての歌と演奏をポール1人で行っているので、実はこのMVが真の姿に最も近いということになります。 このアルバム、当時流行しつつあったテクノポップをうまく取り入れたり、かなりの力作だと思うのですが、リリース直前に、日本での大麻不法所持による現行犯逮捕があったため、どうしても悪いイメージが重なってしまうのが残念なところではあります。

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358: Suede / Trash

1stアルバムが大ヒットとなったスウェードは、1994年に2ndアルバム『ドッグ・マン・スター』をリリースしますが、UK3位と前作ほどのヒットには至りませんでした。 ちょっと退廃的な作風で、要するに「暗い」サウンドが支持を得なかったということなのでしょうけど、個人的には「ニュー・ジェネレーション」とか大好きでした。 また、アルバムのリリース前に、サウンドの要であったバーナード・バトラーが脱退しています。 そうこうしているうちに、ブリットポップの主役はオアシスとブラーにもっていかれ、「過去のバンド」になりつつあった彼らですが、1996年にリリースした3rdアルバム『カミング・アップ』がUK1位の大ヒットとなり、再びUKロックシーンのトップに返り咲きます。 アルバムからの1stシングルとなったこの曲(UK3位)に代表されるように、1stアルバムの「グラムロック」感を前面に押し出し、かつこれまでになく明るくポップな楽曲が、ブリットポップの時代にフィットしたということでしょう。 本作以降はセールス面でも下降線をたどりますが、90年代UKロックに華々しい足跡を残したバンドでした。

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357: Suede / The Drowners

ブリットポップというと、「オアシスvsブラー」が話題になったように、この2バンドが中心的存在であったことは否めませんが、UKロックの転機という意味では、スウェードの存在も大きかったと思います。 この曲は、1992年5月にリリースされた彼らのデビューシングルで、セールス的にはUK49位という非常に地味なヒットにとどまっています。 ただ、ブレット・アンダーソンの「デヴィッド・ボウイのような」中性的なヴォーカルと、バーナード・バトラーの「ザ・スミスを連想させる」ギター・リフという、彼らの強烈なセールスポイントは、デビューシングルの時点で完成されていたというのは、ある意味、驚きです。 その後、彼らはシングル・ヒットを連発し、1993年リリースの1stアルバム『スウェード』はUKナンバー1を獲得します。これは、オアシスのデビューよりも1年以上前ということになります。 そういった経緯から、彼らの登場をブリットポップの始まりとする定義もあるようですし、個人的にもそれが妥当のように思います。

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356: Oasis / Supersonic

インスパイラル・カーペッツが解散するのと入れ替わるように、1994年にデビューし、ブリットポップ・ムーヴメントの中心にのし上がっていったのがオアシス。 中心人物であるギターのノエル・ギャラガーは、インスパイラル・カーペッツのローディーをやっていたというつながりがありました。 代表作を1枚選ぶなら、2ndの『モーニング・グローリー』ということになるのでしょうけど、それでもやはり、このデビュー・シングルのインパクトは、今なお少しも色あせていません。 1994年4月にリリースされ、チャート的にはUK31位と地味な結果ですが、彼らのすべてはここから始まったという点で、特別な存在の曲です。 そして、MVで見せる、デビューしたばかりの新人とは思えないふてぶてしいまでの振る舞いは、2009年の解散まで、彼らのトレードマークでもありました。 同年9月には、この曲も収録した1stアルバム『デフィニトリー・メイビー』をリリースし、初登場UK1位を獲得。デビュー半年にして、名実ともにUKを代表するバンドとなりました。

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355: Inspiral Carpets / Generations

インスパイラル・カーペッツは、1995年の解散(後に再結成)までに4枚のスタジオ・アルバムをリリースしていますが、個人的に一番よく聴いたのは、1992年リリースの3rdアルバム『リヴェンジ・オブ・ザ・ゴールドフィッシュ』(UK17位)でした。 『金魚の復讐』というタイトルは、何を言いたいのか良く分かりませんが、このアルバム、曲調はかなりポップで、かつガレージ・ロックっぽいワイルドなサウンドという、当時大学生だった私には「どストライク」な作品でした。 この曲は、アルバムのオープニング・ナンバーで、3rdシングルとしてもリリースされました(UK28位)。この曲もオルガンの音色が耳を惹きます。 このアルバムがリリースされた1992年前後が、マッドチェスター・ムーヴメントの一番華やかな時代だったように思います。

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354: Inspiral Carpets / This Is How It Feels

80年代の終わりから90年代初頭の「マッドチェスター」ムーヴメントでは、マンチェスター近郊出身のバンドが多数のヒット曲を送り込みましたが、その中心には、ザ・ストーン・ローゼス、ハッピー・マンデーズと並んで、このバンドもいました。 インスパイラル・カーペッツのサウンドは、キーボードを多用したサウンドに特徴がありました。そういう意味では、この曲こそ代表曲としてふさわしいのかも知れません。 1990年リリースの1stアルバム『ライフ』収録のこの曲は、シングルカットされ、UK14位のヒットを記録しています。 同じ「ダンサブル」なサウンドでも、ザ・ストーン・ローゼスの様なギター・バンド・サウンドではなく、キーボードを中心とした音作りのアプローチは、当時大学生だった私にとって、バンド・サウンドを考えるうえで、大変勉強になった記憶があります。 そして、当時は「熱さ」がロックだと思っていたのですが、逆に「クールさ」こそが重要なんだと気づかされたのがこのバンドでした。 このバンドを聴いていなかったら、例えば、ザ・クラッシュのパンクロックの本質は、徹底的に「覚めている」ということにも気づかなかったかもしれません。 そういう意味で、このバンドの存在は、自分の音楽観に大きな影響を与えたと思って居ます。 まあ、そういう蘊蓄抜きに、この曲は美しいメロディだと思います。

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353: The Stone Roses / I Am The Resurrection

ザ・ストーン・ローゼスの1stアルバムがリリースされた1989年、私は大学に入ったばかりでした。 金は無いけど、時間は余るほどあるわけで、このアルバム、本当に何度も聴きました。 繰り返し聴いても飽きなかったのは、曲がヴァラエティに富んでいて、アルバムを通しての流れが単調になっていなかったからでしょう。 そして、ラストにこの曲が入っていたことも大きかったと思います。 8分以上ある長い曲で、しかもラストの4分以上はインストなのですが、ここを聴かないとアルバムを聴いた気がしないというくらい、重要なパートでした。 この曲の日本語タイトル、現在は「アイ・アム・ザ・レザレクション」ですが、リリース当時は「僕の復活」でした。 私、断固「僕の復活」を支持します。絶対こっちの方が良い!

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352: The Stone Roses / Elephant Stone

「エレファント」と聞いて、真っ先に思い浮かべるのがこの曲です。 90年代UKロックと言えば、代表格はオアシス、ブラー、それからレディオヘッドといったあたりですが、そんな時代の幕を開けたのが、ザ・ストーン・ローゼスでした。 この曲は、1988年にリリースされた彼らの3rdシングル。発売当初はチャートインしなかったものの、1990年に再発され、UK8位を記録しています。 ドコドコと手数の多いドラム、その合間を縫うようにうねるベース、ネオアコ風のアルペジオとワウ・ペダルを効果的に盛り込んだギター、ちょっとヨレ気味で頼りないヴォーカルと、この時点で、彼らのサウンドはほぼ確立していたとも言えます。 あとは、時代が追い付いてくるのを待っていただけ、といったところでしょうか。 翌1989年には1stアルバム『ザ・ストーン・ローゼズ』をリリース。これ以降、知名度は飛躍的に向上し、当時の「マッドチェスター・ムーヴメント」の中心的存在として、絶大なる支持を集めました。 どうでもいいことですが、この1stアルバム、当時は『石と薔薇』という邦題がつけられていたような気がします。その無理やり名付けた感が好きだったのですが、今はもう、この邦題は使われていないようで、ちょっと残念です。

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351: The White Stripes / The Hardest Button To Button

ザ・ホワイト・ストライプスの2人は、実際には姉弟ではなく夫婦(後に離婚)でしたが、このバンド、そういう「設定」にも特徴がありました。 例えば、アルバム・ジャケットや衣装は「赤・白・黒」の3色で統一されていたり、サウンドも「ヴォーカル・ドラム・ギター(orキーボード)」の3つのパートで構成(ライヴでも2人だけで演奏していた)するなど、かなりマニアックなこだわりをもっていました。 そんな彼らが2003年にリリースしたアルバム『エレファント』は、US6位/UK1位とセールス面で大成功を収めます。また、グラミー賞の最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバムを獲得します。 このアルバムの代表曲と言えば「セヴン・ネイション・アーミー」なのですが、MVの面白さで、3rdシングルのこの曲を取りあげました。 曲のリズムに合わせて、ドラムセットやギターアンプがどんどん増えていくという、何ともユニークな内容となっています。 MVのために、ドラムセットとギターアンプを、それぞれ32個ずつ用意したとのことですが、それに見合うだけのインパクトのある映像となっています。 それらのドラムセットとギターアンプは、撮影後、音楽学校に寄付したとのことです。 ちなみに、2分30秒付近に登場する白いスーツを着た男は、ベックです。

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350: The White Stripes / Hotel Yorba

節目の350曲目は、ザ・ストロークスとともに「ロックンロール・リバイバル」の双璧をなす、このデュオの出世曲を。 ジャック・ホワイトとメグ・ホワイトの姉弟(という設定)からなるザ・ホワイト・ストライプスは、1997年にデトロイトで結成され、1999年に1stアルバムをリリース。 2001年に3rdアルバム『ホワイト・ブラッド・セルズ』(US61位/UK55位)をリリース。ブルーズをベースにした生々しいガレージロック風のサウンドが、前述の「ロックンロール・リバイバル」の中で高い評価を受け、一気に知名度を高めます。 この曲は、アルバムからの1stシングルで、デトロイトに実在したホテルの名前がタイトルにつけられており、レコーディングもその1室で行ったようです。 デモテープかと思ってしまうようなラフな録音と、結婚式のシーン等、ちょっと不思議な世界観のMVが印象的なこの曲、大ヒットしたわけではありませんが、後の成功への導火線となった1曲です。

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349: The Strokes / Hard To Explain

「Hard To」つながりで、この曲をチョイスしました。 ニューヨークで結成されたザ・ストロークスは、2001年に1stアルバム『イズ・ディス・イット』(US33位/UK2位)をリリースします。 このアルバム、とにかく余計なものをすべてそぎ落としたサウンドが最大の特徴で、シンプルさを極限まで追求した楽曲やアレンジは、過度に装飾された音楽が隆盛を誇っていた当時、「ロックンロール・リバイバル」として支持を集めました。 彼らはUSのバンドですが、どちらかと言えばUKでの方が評価が高く、彼らのフォロアーと言われるバンドも、フランツ・フェルディナンドやアークティック・モンキーズ等、UK勢が多数を占めています。 この曲はアルバムからのリードシングルですが、アルバムの中でも1,2を争うほどシンプルな曲で、そういう意味で、デビュー曲にはうってつけだったのでしょう。 このMV、様々な映像素材に、バンドの演奏シーンが挟み込まれていますが、各メンバーの名前が字幕で表示されるところが、「デビューシングルだなぁ~」と、思わずニンマリしてしまいます。

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348: Chigago / Hard To Say I'm Sorry

初めてリアルタイムで聴いたシカゴは、この曲でした。 70年代終わりから80年代始めの数年間はシカゴにとって低迷期で、1978年の「ノー・テル・ラヴァー」を最後に、トップ40ヒットから遠ざかっていました。 そんな状況の中、1982年にリリースされた『シカゴ16』から生まれた久々のヒット曲は、7年ぶりとなるUSナンバー1の座に輝きます(UK4位)。 ヒットの裏には、大胆なサウンドの変化があり、かつて最前線で鳴り響いていたホーンセクションは姿をひそめ、シンセサイザーとストリングスに彩られた、まさに「80年代風」のサウンドに生まれ変わっていました。 この変化は、間違いなくプロデューサーのデイヴィッド・フォスターによりもたらされたものですが、かつてのファンは複雑な思いだったのではないでしょうか。 これに続く『シカゴ17』も同路線の作品で、やはりヒット曲を生み出します。 私、最初にこの時代の作品を聴いたので、シカゴが「ブラス・ロック」と呼ばれていることが、当時は全く理解できませんでした。 今だったら、昔の作品はYouTubeとかですぐに聴けますが、当時はベスト盤とかを入手(or レンタル)しなければ聴けなかったですからね。 そう思うと、良い時代になったものです。