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核心・上海列車事故~第2章・日本視点の時系列~

当考察シリーズの一覧はこちらです。
核心・上海列車事故|上海列車事故の備忘録|note

※引用資料中の生徒の氏名は仮名とします。
※今回の検証のテーマである遺体の身元誤認に係る部分は太字にしています。

 ここでは後の章での検証の根拠として当時の報道資料に記載されていた時系列を挙げてみる。主な引用資料は事故当時の読売新聞の記事であるが、慶應義塾大学の教員による上海列車事故の事後処理の検証論文にも貴重な情報となる時系列が載っており一部引用する。
 また、本章の末尾に時系列を一覧表にしたものを添付するので、引用記事を読む余裕がない方は先にそちらを見ていただいても構わない。

《引用資料》
①読売新聞 1988年3月25日 東京夕刊
上海列車事故をめぐる日中交渉(慶応義塾大学法学研究会・池井優氏)
※資料②による情報は時刻の横に【慶応】と記載しています。

【読売新聞記事より】

 「確認された死者は二人」「いや二十人死亡で、なお十六人が行方不明」「死亡とされた女子生徒は生存」--。二十四日午後、中国・上海市郊外で私立高知学芸高校(高知市)の修学旅行生を巻き込んで起きた列車事故の情報は、混乱を極めた。日本にもたらされる被害者数は、外務省、日本交通公社、高知学芸高校の三者で食い違い、しかも国営新華社通信など中国側の報道とも合致せず、生徒の安否を気遣う父母らの不安を募らせた。外国人の情報については中央政府を通してしか公式には伝わらない中国の特殊事情もあるが、それだけ、すさまじい事故だったとも言える。発生後二十時間以上たっても「確報」が出ない情報の二転三転ぶりの跡を追うと--。

3月24日

午後5時30分
高知学芸高校に事故の第一報。交通公社の添乗員からで、「蘇州から上海に行く途中、事故にあった」。

午後6時
日本交通公社本社に、関西営業本部を経由した上海事務所の第一報が入電。

(同時刻)
外務省にも交通公社から「高知学芸高校の一行193人が上海近郊で列車事故にあった」と第一報。

午後8時
上海総領事館から「日本人死傷者が含まれているもようだが、詳細は不明」と外務省に電話連絡。

午後9時
外務省領事二課が「非公式だが、日本人が死亡した可能性が強い」と説明。

午後9時すぎ
高知学芸高校で負傷者21人の名前を黒板に書き出す。まもなく、佐野正太郎校長が「上村英生君(仮名)と野々村恭子さん(仮名)の2人が死亡したとの情報が入りました」と発表。

午後9時30分
日本交通公社本社。広報課員が未確認情報としながらも「引率の先生から学校に入った連絡では、男女2人の生徒が死亡したもよう」と発表。

午後10時15分
交通公社の松橋功・事故対策本部長が記者会見し「お亡くなりになった方には、心からお悔やみを申し上げます」。

午後10時30分【慶応】
高知学芸高校側が108人の生徒が新苑賓館に着き、現在食事をしていると報告。家族からもっと情報が集まらないかといらだちの声。

午後11時【慶応】
上海日本総領事館から報告として「死者7人、うち日本人2人、負傷者20人程度」との連絡を発表、「引き続き確認中」。

午後11時10分
外務省が上海の交通公社事務所から入った「死者7人、うち日本人2人、負傷者30人程度」との連絡を発表。「引き続き確認中」。

午後11時50分
北京の日本大使館が上海市外事弁公室に「日本人を含む7人死亡」を確認と外務省発表。しかし、「日本人2人が死亡したとの情報は最終確認できず」。

3月25日

午前0時25分
北京の中央テレビが、「死者12人で、うち日本人は11人。負傷者は40人を超えた」と報じる。まもなく、新華社通信も同様の報道を流す。

午前0時55分
外務省は「日本人11人と中国人1人が死亡した」との新華社電について、「国営通信社の報道であり、信じるしかない」(領事二課)。

午前1時【慶応】
高知学芸高校側がホテルに入った108人の氏名を発表。

午前1時35分
交通公社が「夜になり、人の顔も暗やみでわからない状態」と現場の模様を説明。

午前2時05分
外務省に吉田重信・上海総領事から「上村英生君(仮名)ともう一人は即死状態だった。11人死亡については確認できない。引率の先生たちも死傷者の把握がまちまち」との連絡。

午前2時40分
上海総領事館から外務省に「死亡したと思われた野々村恭子さん(仮名)が生存している、との情報もあり、確認を急いでいる」との連絡。

午前2時43分
高知学芸高校が、「死亡」とされていた野々村恭子さん(仮名)の“生存”を発表。「けがをして入院、手当てを受けている」の知らせに、沈痛な雰囲気に包まれていた父母の間から、思わず拍手。

午前3時05分
交通公社が「20人の死亡を確認。死者の一人は川添哲夫教諭。病院で手当てを受けているのが33人。121人が無事ホテルに収容され、引率教諭ら3人が現場で救出作業を手伝っており、残る16人の所在が不明」と発表。

午前4時10分
交通公社が同社上海事務所がまとめた資料を配布。一行の死者は2人と、前回の会見内容を訂正。入院者は35人、行方不明28人、128人はほとんどけがもなくホテルに収容。

午前4時47分
外務省に吉田総領事から「上海市外事弁公室が日本人11人の死亡を確認」。しかし、「総領事館としては上村英夫君(仮名)だけ」。

午前5時40分
日本交通公社の堀内・広報室長が最新情報で「一行の犠牲者は12人」。

午前6時
外務省は「死亡2人、不明27人、入院35人」と発表。

午前6時30分
外務省が「大使館の感触を総合すると、死者は中国側が確認した11人を上回る可能性あり」と発表。

午前7時14分
高知学芸高が、「死亡」から「生存」に変わった野々村恭子さん(仮名)について、「重体らしい」と発表。

午前8時
上海総領事館から外務省に「上村英夫君(仮名)ら四人が死亡、平山博稔君(仮名)の生存を南翔病院で確認」との連絡。

午前8時40分
高知学芸高の保護者控室。テレビで新たに生徒3人の死亡情報が流れ、田岡隆君(仮名)の母、良子さんがショックで倒れ、隣室へ。

午前9時30分
外務省は「普陀区中央医院で、新たに7人の生徒の死亡を確認」と発表。死者は計12人に。

午前9時40分
津野千代子さん(仮名)、田宮寿和さん(仮名)らの死亡が確認され、校舎内を泣き声が走る。

午前10時05分
高知学芸高にも「日本人死者26人」のニュースが伝わり、「ファー、ファー」と、声にならない叫び声が会議室に響いた。

午前10時20分
金沢領事が上海市当局に聞いた話として、「午前7時半現在の死傷者131人。日本人の死者26人か27人。傷者47人」と発表。遺体の安置されている7病院名も明らかに。

午前11時20分
外務省が安田貴志君(仮名)の遺体を確認したと発表。日本人の遺体は18人に。

午前11時30分
交通公社事故対策本部は、「日航機をチャーター、夕方、生徒の家族や学校関係者を上海に送り、夜の折り返し便で生徒らを乗せて高知に戻る予定」と発表。被害者数などについては外務省情報が中心に。

午後0時10分
黒河内久美・領事移住部長が記者会見。「26人が死亡し、18人の名前を確認している」と発表。

午後0時20分
宇野外相が中島中国大使に対し事後対策に万全を期すよう直接指示。

引用ここまで。
 以上が3月24日15時19分(現地時間14時19分)に発生した列車事故が、翌25日正午過ぎまでに日本にどう伝えられたかの詳細である。

【一覧図】

 以下に、これまで引用した時系列を図表にまとめたものを添付する。

日本側の状況把握の時系列まとめ。高知学芸高校での出来事は赤文字。(拡大推奨)

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