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なぜ震災で略奪行為が極めて少なかったのか

10年ほど前、東日本大震災が起きた際、日本ではなぜ物資の略奪行為が起きないのか?みんなちゃんと並べるのか?って世界から称賛された。その理由として、日本人の忍耐強さ、道徳心が根底にあるのではないか、と言われていた。だが敢えて言おう。それだけでは説明できない、と。

ではなぜ略奪行為が起きなかったのか私見を述べる。これは今後の災害時に備えるためにも必要だと思うから是非読んでいただきたい。

まず略奪を起こさないようにするために最も必要だと思われるのは、必ず助けが来る、と思ってもらうことだ。幸いにして日本では震災発生から1日もしないうちに大勢の救助が来た。大量の救援物資だって届いた。これが大事である。もし救助や救援が来ないと分かっていたら、もしくは来ない可能性があると思っていたらどうだろうか?とても冷静ではいられないだろう。必ず誰かが助けてくれなければ待つことだってできやしない。

次に奪い合うより並んで待った方がメリットがあると思える状況を作ることが大事だ。奪い合いが起きれば必要な物資に大幅なロスが生じる。食べ物が散乱したり毛布が破れれば使えなくなる。奪い合いが不毛だと思っているからこそ並ぶことができる。

さらに正しい情報が手に入ることも大事だ。ああいう状況ではデマが拡散しやすい。無事な人が的確な情報処理、伝達ができるからこそ安心感が生まれる。

以上のことから考えて単純に忍耐力や道徳心だけではあのような光景は起こらないのである。日本においてはその全てが備わっていたからこそ大きなトラブルも起きなかったのだ。

先に述べたように今後の災害時に備えるためにも、みんなで共有してほしいことがある。それは道徳教育だけでなく、必ず救助が来る体制を作るとともに、救助が来ると信じてもらえるようにすることだ。

これは戦争においても同様である。不幸なことにウクライナでは現在でも戦争が続いている。彼らを本当に助けたいと思うなら、停戦をロシアに求めるだけでなく、苦しんでいるウクライナの人たちに確実に支援ができるようにして、彼らから信頼を得ることだ。それも単発的に支援するのではなく、継続的に行わなければならない。

とはいえ、自分もできることは募金ぐらいしかできない。実際自分がしたこともわずかばかりの募金をしただけだ。だが、1人でできることはしれているが、大勢の人が集まれば継続的な支援ができる。行動力のある人はクラウドファンディングなども行なっているようだ。群衆の力を舐めてはいけない。

最後にまとめとして、道徳心や忍耐力だけでは限界があるということだ。自然にこういう行動をした方が自分達にメリットがある、そう思わせることが非常時に問題を起こさない最大の抑止力になる。ということで締めたいと思います。

ここまで読んでいただき感謝です。それではまたの機会に。

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