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AMからAM【2023.09.21】

発問内容をグループラインに送ることから始まった6:00AM.

午前中の授業への準備をする。
グループレポートを印刷するのに大学のとある教室に向かう。
ここはどうやら学生番号とパスワードがあればお金がかからず印刷ができるということでいい場所を見つけました。

コーヒーを買ってカフェインに縋る(すがる)。


今日の内容はざっくり言えば過去の感情に対する認識というものは、どんな場所どんな人でも普遍的で、脳に一つの感情と対応する部分が一つあるという一対一の関係であり、外部からの刺激によって引き出されるものだと考えられていました。
しかしその後の実験などの結果、感情は普遍的なものではなく、脳と感情は多数対1の部分関係であり、過去の経験により学習されるものなので文化による差異が発生するというものです。

例えば、韓国語には恥ずかしいという意味を持つ言葉が2つあり、使い分けがあるとのことでした。確かに韓国で生活していないと体験されない感情かもしれませんね。この例を他の学生が挙げたときにはなるほど!となりました。

やっぱりもう少しテキストのリーディングをしっかりしたかったなと思いました。


その授業後、お昼ご飯時ではありますが助教授授業というものがありました。
これまたざっくりになるのですが、人文研究というものは肉体や物体としての人ではなく精神や心としての人に焦点を当てており、自己の理解という本来届かなかった目標へと向かいます。そのために個人の経験というものを表現し伝えることで全体へと還元してそれを理解できるようにし、共通する経験を分類して整理し、客観的な創造物・指標とします。その創造物が私たちが自己を理解する術である。

そういうことを述べた文章でした。

どうして自己理解に客観が必要かといわれると、鏡を見ないと自分が自分を認識できないのと同じようなことだと思います。また自分で自分を観察しようと思ったら観察する自分が現れるわけで、その自分が現れた後の自分は果たして同じ自分といえるのか?それは自分を正しく理解できているのかみたいなこともあるのかなと思いました。
あと、経験主義っぽいのかな?そもそも何だったか復習しとかないと…
個人主義的な風潮も強い中で、自分は大きな全体の一部なんだという意識や多くの人に普遍的な経験を濃縮したものが人文研究の扱うものなのかもしれないなということでもっと人文分野への重きを持ってもいいのかなと思いました。

にしても抽象的なことの理解がまだ中国語では難しいぞぉ…


体育でテニス。
初めてしっかりラケットを持ちました。
前学期の体育がバドミントンだったこともありなんか重たい。
基礎の基礎から始まってフォアハンドで打つところまで今日は進んだのですが、縦回転をかけるんだよということを意識するあまりネットを超えない弾道が多発。感覚をこれから掴んでいきたいなと思います。


時は飛んで2:40AM.
何でまだ帰っていなくてめっちゃ走っているんだろう。
バスよ待っておくれ。
ただ逃すわけにはいかないという一点集中で走っていて、後で振り返っても「若かったな」とか美化された思い出にはならない類だろう。
バスの姿を捉えて安堵。ちょっと通り過ぎかけて止まってドキッとはしたけれども。

怒ることあるのと言われることもありますが、結論ありますよ。
とりあえず「感情と社会」の授業の週間自己感情観察日記という課題の題材になるなということで消化しておきます。昇華か。(?

もう少し様子をみます。
もしかしたら階級闘争。

#留学生のひとりごと日記


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