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埋頭苦幹【2023.10.20】
「芸術と社会」の授業にて、期末レポートとして具体的な表現や作品の提案のようなものをするのですが、その参考としていくつか映像を見ました。
一つ目は台東の中学生に、絵描きの人が絵を一緒に描くというものでした。自然豊かな台東地域ののフィールドワークを通じて「観察眼」の大切さを伝えたり、絵というものはもっと気楽に描いていいのだという絵という表現の楽しさや接する機会を提供するという内容でした。
次に見たのは「風の電話」という岩手県にある電話ボックスについての映像でした。
こちらはもともとこの高台に住んでいる方が、身内を亡くしたのをきっかけにその方との「対話」を願って設置されたものでした。その後、東日本大震災をきっかけに個人だけでなく一般にも開放したという背景を持ちます。
かなり胸を打たれるものがありました。
このように個人的な体験から始まるもの、社会的な意義・背景を持つものは表現する上でのきっかけになるかと思いました。
教授の準備していたスライドにあった「芸術とは、理性を超えたところに衝撃が走るようなもの」という言葉も印象に残りました。
今日はとにかく「やるべきことを全力でやること」を心がけて働きました。僕にとっては、自分でやりすぎだと思うくらいでちょうどいいのだと思います。急ぐにしても走るくらいの意識とか。自分にできるのはそれくらいからしかないので、何か言われるのはもうこの際受け入れて、ひたすら求められたことを忠実に再現する。と、自分の意思で決めていれば駒にはならないはず。なってたまるか。
お金を稼ぐって・社会で働くって大変なんだなぁとバイトを始めてから思います。働いている人みんな尊敬。そして家庭という場所を安定して保ってくれていた親なんてなおさら。
その意味では高校の時にバイトできていたらなんてやっぱり思っちゃうんですけど、当時の自分はそこまで意思も強くなかったし、今ほど重要性も理解していなかったので校則にああだこうだ言おうとはできませんでしたね。ルールは変えられるんですけど。
先ほど、意識からということに触れたのですが、それに関連して思い出したことがあります。
それは量か質か、という話になった時に、何でもない人がまず選べるのは量のみというような話です。
確かに質は積み重ねの上に成り立ってくるのかななんて気もするので、とにかくまずは量なのかもしれません。もちろん雑にやることは話が違うと思うのですが、ある程度正しい・適切な形でたくさん積み重ねる。
もし自分が何か質を先に考えようとしてしまうような時があれば、その自分をすぐに引っ込めて量に取り組もうと思います。
今日少し上手くいったからって調子に乗るな。
継続的なパフォーマンスがあってこそ。
ちょっと固い文章になっちゃったか。
もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!