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闘いは日常の中に【2023.09.05】

「幸せになってしまったのが良くなかったのかもしれないと思う。」

正確には「自分が幸せであることに気がついてしまったこと。」

幸せでなければ、それを手に入れようと必死で生きられる。

僕は人生の目的は幸せになることだと思っているから、それはつまりもう達成されてしまっていることを意味する。そうしたら正直、自分の極限を開花させるまで必死で生きるみたいな状態にはなりにくいのではないかと思う。

もちろん幸せには色々な種類や大きさがあると思うのだけれど、僕は心に負担のかかる時期もあったので本当に最低限自分の心に負担がかからない環境、具体的には人や生活に恵まれている。

だからもうこれでいいやって思う自分がいる。

このいい側面を考えてみる。
満足できるということ。
現代では「より多く」を求めがち。例えばお金とか。人間の欲には底が見えなくて、お金のために綺麗じゃない手段が選ばれたりとか抑圧される人がいたりとか。
だから、この満足できるという感覚を多くの人が持てばその歪みのようなものが正常なものに戻っていくのではないか。そう考えると悪く無い感覚なのではないかとも思う。

でも同時にそんなに上手くいくことではないと思う。多くの人間はきっと欲に生きるから。そして世界はそんなに甘くないのだと思うから。

そう考えると自分だけが取り残されるような気がしてくる。
前に前に進んでいく、富という力が多ければ多いほど社会に対しての影響力が大きい今の世の中で、取り残されることはただの1構成員としてただ使われて終わるのではないかという気がする。

それを受け入れることができれば悩みはしない。
むしろそういう生き方を選んだって全然いいと思う。
自分が好きな道を選んでいいし、そうあるべきだと思う。
いわゆる成功者マインド的なことから見れば、異論のあるようなものかもしれないけれど別にその人の人生だからハンドルはその人の手に。
逆に張る、という意味で選びたい心理もある。


でもこうやって考えているということはそういうことだ。
自分はそれをまだ選べない。それを選んでしまうのに不安があるということ。それは自分の最大限をあきらめることになるのではないかと。

ならばいっそ人生の目的は幸せではないという方向に行こうか。
ていうかそもそも目的なんて決めなきゃいけないのか?
自分はなぜやるのか、というものがないと行動できないタイプだからやっぱり目的は欲しい。うーん。

もういっそ自分なんてどこかに置いておこうかな。
その、別にこのままでいいと思っている自分を。
自分がどうしたいとかはいつかきっと湧いてくる。今じゃなくていい。

もうしばらくはそれを忘れて社会とか他人の側から自分を見てみる。
自分を消す。

圧倒的に足りないもの。
もっと磨く必要のあること。
必要とされる知識。

僕は結局まだ無価値。
いてもいなくてもきっとそんなに大差ない。
これが現実。
そう思えるなら動ける。

そしてそう思い続けられるかどうか。
明日になれば人間は忘れてしまいがちだから。
今日も自分の中で、異なるものが揺れる。

今は負けないで、勝て。

#留学生のひとりごと日記


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