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喋りたいという「正欲」

自分がどういう人間か人に説明できなくて、息ができなくなったことってありますか?

生きるために必死だった道のりを「有り得ない」って簡単に片づけられたことありますか?

映画『正欲』

 直木賞作家の朝井リョウの原作で、2023年に公開された映画『正欲』のワンシーンだ。ヒロインを演じる新垣結衣が、稲垣吾郎演じる検事にそう問いかける。それは、立場が逆転したように、新垣が稲垣に詰問しているように映った。
 怒り、理不尽、苦しみ…あらゆる負の感情を押し殺しながら、それでも言わずにはいられなかったであろうと言葉と、彼女の突き刺すような鋭い眼光に、このシーンをNetflixで観ながら、私はひとり涙を流した。


「喋れない自分」を説明できない

 自分がどういう人間か、人に説明できない。
 場面緘黙症だった頃の私は、まさにそうだった。何で家から一歩出ると喋れなくなるのか、自分でもその理由が分からなかった。発話という手段でなくても、人に説明することができなかった。喋れる人間からすれば、「有り得ない」ことだったろう。誰からも理解されず、誰にも寄り添ってもらえず、本当に息苦しい毎日だった。
 年齢が上がってくると、「有り得ない」人間を目の当たりにして、物理的に攻撃する奴らが出てきた。前回までに書いた中学入学後に受けたいじめがそうだ。
 だが、いじめだけではなかった。後に生徒会長やバスケ部のキャプテンになった別のクラスメートからも、何度も本気で責められた。「何で授業中にしか喋らないのか」「何で先生がいるところでしか喋らないのか」と。私は、何も言い返せず、何も説明できず、ただ言葉の攻撃を浴び続けた。

  見せかけのリーダーシップ

 そのクラスメートは、長身で、よく喋るクラスの中心的な男子生徒だった。そして、自分が理解できないことを、そのまま口にする奴だった。だから、発声する能力はあるのに喋らない私のことが、不思議で仕方なかったのだろう。いじめのような陰湿な加害攻撃をするのではなく、言葉で非難してきた。
 1ミリたりとも想像できなかったのだろう。極度の不安から喋れなくなる障害があることを。保育園児だった私が、保育士から喋るように脅された結果、‟先生″とだけは喋るようになったことを。本当はみんなと喋りたいという当たり前の「欲」があるのに、それができなくて苦しんでいることを。
 「自分だけが正義」の奴にとっては、その外側にいる人間は、間違っている人、理解できない人、有り得ない人になる。
 「正義」は、自身の正当性を声高に主張し、周りにも同調を求める。そんな見せかけのリーダーシップで、そいつは中学2年で生徒会長になり、バスケ部のキャプテンになった。

 あれから25年以上の時が経っても、そいつの間違った正義感が目に浮かぶ。
 お得意のリーダーシップで、業務改革を提案している姿。多様性を認める職場にしようと主張している姿。自分の子供には「学校で友達との違いを理解し合うことが大切だ」などと説いている姿・・・。


 反吐が出る。


 言われた側は、何十年経っても忘れない。許すこともない。こちらが苦しめられた分、そいつが不幸になることを切に願う。

 これが、俺の「正欲」だ。


 冒頭に引用した映画『正欲』のワンシーン。そのセリフの後に、新垣結衣は、こう続ける。

あなたが信じなくても、私たちはここにいます。

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