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ぽん太の東海道五十三次歩き旅(16)興津宿→府中宿(静岡市)

こんにちは。ぽん太です。今回は歩き旅(14)の翌日で、興津から府中(静岡市)まで歩きました。


旅日記

 2022年10月16日。今朝は日の出とともに目覚めたので、宿を早く出発することに。7:30には宿を出て、少し距離はあるが、府中宿(静岡市)まで行くことにする。
 興津宿は、身延山へ向かう身延道との追分(身延道標)があり、交通の要所でもあった。身延道は駿河で作った塩を甲斐・信州へ運ぶ主要道であったようで、宿場町として栄えたようだ。

興津宿
身延道追分(身延道標)

 7:55清見寺到着。清見寺では、境内に東海道線が横切っているという珍しい風景が見られる。少し先には西園寺公望の別荘の坐漁荘があるが、9:30営業開始につき残念ながら中を見ることができなかった。今日はキンモクセイの香りがあちらこちらに漂い、歩くには快適だ。

清見寺
電車が寺の敷地を横切る

 このあたりの旧東海道もたまに古い建物が残っており、趣深い。袖井の交差点を少し寄り道し、袖井港に立ち寄る。9:20細井の松原跡に到着。かつては松がたくさんあったのであろうが、今は1本残されているのみだ。

昔の面影が残る旧東海道
袖井港
細井の松原跡

 9:45江尻宿のあった清水銀座に到着。昭和レトロ感を醸し出しており、なかなかよい雰囲気だ。
 「江尻」という地名は、巴川の下流(尻)から来ており、古くは武田氏が今川氏に代わり支配し、江尻城を築いて城下町を形成していた時期もあったようだが、江戸初期に江尻城は廃城となり、今は小学校が建っている。
 だいたい城があったところは、役所や学校になっているところが多い気がするが、昔の城には、軍事拠点という機能のほか、役所や学校の機能があったことを考えれば、実はあまり変わっていないということであろうか。
 本当はこのあたりで清水名物の「もつカレー」を食べたかったのだが、日曜の朝のせいかお店を開いているところは少なく、先に進むことに。魚町稲荷神社などをさくっと見学し、旧道を進む。魚町稲荷神社にはサッカーボールの碑があり、日本少年サッカーの発祥の地であるようだ。

清水に入る手前の旧家。蔵も立派だ。
清水銀座
旧江尻城址(現在小学校となっている)
魚町稲荷神社(サッカー神社)

 そのまま旧道を進み、追分羊かん本店で、お土産等を購入(10:30)。創業元禄八年(1695年)とあり、300年以上の老舗だ。羊かんではあるが、もっちりとした食感で、甘さも控えめで、我々のような歩き旅族にとっては非常食としてもいい。

追分羊かん本店

 11:15草薙の手前のラーメン屋(サッポロ麺屋 ichi)で昼食タイム(結局もつカレーではなかったが・・・)。この店一押しの「ごぼう味噌ラーメン」を食べた。揚げたごぼうの香りと歯ごたえとが味噌味にマッチしてとてもうまかった。後で調べたら、どうやら札幌の有名店の支店だったようだ。

 ところで、草薙といえば、ヤマトタケルの草薙の剣(三種の神器の一つ)の伝説で有名な草薙神社を思い浮かべるが、神社までは遠いので、せめて大鳥居だけでも見ようと探し回ったがないので通りかかった方に聞いてみたら、2020年9月に老朽化につき撤去されたとのこと。残念。撤去前の姿が、さわださんのnote記事↓にあるので、ご参考まで。

草薙一里塚碑。なぜか大狸もいる。
ごぼう味噌ラーメン(サッポロ麺屋 ichi)

 草薙から先は旧道が線路に北に行ったり、南に行ったりしているが、どうやら旧国鉄の操車場や町の再開発等の関係で東海道が分断されてしまったようだ。そのことが旧東海道記念碑に書かれていた。旧跡・遺跡の保存と町の開発のバランスはなかなか難しいものだ。

旧東海道記念碑
東海道線のトンネルをくぐりぬけ、北に抜ける

 ここから先は徐々に疲れてきたので、休みをとりながら静岡鉄道沿線の旧道をひたすら歩き、14:00頃柚木に到着。柚木では、雲一つない富士山が出迎えてくれた。また柚木は1号線で東京から179km地点とあり、やっと全行程の1/3を超えたのだなと少し感慨深くなった。このペースなら何とか3年以内で走破できそうだ。

旧道沿いを静岡鉄道が走る
柚木からの富士山の眺め
日本橋から179km地点。約1/3は歩いたか。

 徐々に通りは人が多くなり、府中宿には15:00頃入る。久しぶりの都会だ。都会のビルの界隈に西郷隆盛・山岡鉄舟会見の地碑がある。幕末の徳川家の処遇を話し合った重要な会議が行われた旅籠松崎屋源兵衛跡地である。この会談の5日後、江戸の薩摩藩邸で、西郷隆盛・勝海舟が会見し、江戸城無血開城が決定される(☞1日目、日本橋→品川)。


 府中は、かつて駿河国の国府が置かれ、政治の中心部であったことから「府中」と呼ばれた。また徳川家康が将軍職を秀忠に譲った後、江戸からこの地(駿府城)に移ってきたことでも有名である。

大正2年創業のマルヒラ呉服店
府中宿に入る
西郷隆盛・山岡鉄舟会見の地碑

 今日も汗だくになったので、お風呂に入ろうと、Google mapで見つけた銭湯(桜湯)に赴く(15時過ぎ)。そういえば銭湯は藤沢の富士見の湯以来だ。桜湯は昔ながらの銭湯という感じで趣深い。
 その後新幹線乗車まで時間がまだまだあるので、静岡の街をブラブラし、夕食をとることに。静岡はおでんが有名だが、今日は肉を食べたかったので、これまたGoogle mapで探して入った洋食屋スパーゴの煮込みハンバーグはすごくおいしかった。こういう美味しいめぐり逢いも気ままな一人旅ならではの醍醐味なのだ。

静岡市内にある銭湯、桜湯。駅からはちょっと遠い。
洋食屋スパーゴの煮込みハンバーグ

記録

  • 総歩数:39,246歩

  • 実際に歩いた距離:23.5km

  • 訪れた宿場:興津宿・江尻宿(清水)・府中宿(静岡)

  • お風呂:桜屋(静岡市)

  • 宿泊:なし

本日の行程

興津から静岡市までのルート

広重の絵

興津宿

「興津 興津川」
興津川は徒渡しであった。巨漢の力士を乗せた馬は疲れながら川を渡っているようだ。手前の駕篭も4人かかりでかついでいる。沖には駿河湾を航行する帆船もみえる。

江尻宿

「江尻 三保遠望」
 手前の清水湊に船が出入りする様子が描かれている。港に張り出した長い砂浜が三保の松原で、遠景の山々は愛鷹山から伊豆にかけての峯である。舟々の白い帆がアクセントを醸し出している。

府中宿

「府中 安部川」
  今は立派な橋がある安倍川であるが、当時は徒渡ししか手段がなかった。駕篭や、輦台に乗った女性、肩車で渡る女性など様々な手段で川を渡る様子が描かれている。
現在の安倍川

(参考)


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