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ぽん太の東海道五十三次歩き旅(1)日本橋→品川宿

記念すべき第1日目の旅日記です。

旅日記

 2022年1月8日、いつも何気なく歩いている日本橋に立つ。今日から京都三条大橋に向けて歩き旅を開始するのだ。

 まずは、「日本国道路元標」(レプリカ)を拝見。本物は道の真ん中にあるため見ることができない。そう、日本橋は、主要7国道の出発点でもあるのだ。目指す京都は国道1号線では503kmとなっている。5年くらいかかりそうだが、気長に、何とか頑張って歩いていきたい。(実際には2年以内に完歩しました!)

日本国道路元標:主要7国道の出発点
目指す京都は503km!
「日本橋」の字は15代将軍徳川慶喜の揮毫とのこと

 日本橋を10:35に出発。巨大ビルの立ち並ぶ通りを歩いていく。さすがに1月なので日陰のところは寒いが、日が差しているところは少し暖かい。
京橋はかつて川が流れていたようでまさに「京橋」という橋の欄干が残されている。

京橋の欄干

少し行くと「銀座発症の地」という碑があり、徳川時代の銀貨幣鋳造の銀座役所の跡地とのこと。それで「銀座」と名が着いたわけだ。

銀座発祥の地

 そして銀座の和光を過ぎ、新橋に入ると、「新橋親柱」の碑を発見。新橋もやはり橋だったわけだ。日頃意識せずに目にする地名もこうして歴史的建造物を目のあたりにすると歴史を感じるものだ。

新橋親柱

 少し歩くと芝明神商店街という看板があるので、そちらを歩く。でも商店街っぽくなく、普通の道だ。そうこうしているうちに11:43芝大神宮に着く。まだ1月なのでお参りに来ている人もちらほら。
 そろそろ腹が減ってきたので蕎麦でも食べようと思っていたら、「名代カレー担々麺 麵屋虎杖」と掲げる美味しそうな看板に惹かれ入る(2023年10月現在大門店は閉鎖された模様)。パーコーカレー担々麺を食べ、力を蓄える。

芝大神宮
パーコーカレー担々麺(麵屋虎杖)

 その後15号沿いを進み、海を見たくなったので、芝四丁目の交差点を少しそれて南浜橋から運河を見学。
 三田では、西郷隆盛・勝海舟会見の地碑の現物は工事中につき撤収されており、残念ながら写真でしか拝見できなかった。

芝浦運河
西郷隆盛・勝海舟会見の地碑跡

 13:10高輪大木戸跡に到着。かつて江戸の治安のため門番が置かれ夜間は締められていた。少しばかりだが、当時の貴重な石垣の跡が残されている。高輪大木戸は、江戸の玄関口であったわけだ。そういう訳でJRの新駅も高輪ゲートウェイ駅と付けられたのだ。
 その高輪ゲートウェイ駅も寄り道するが、このあたり一帯は再開発中で、すごく見晴らしがよい。しかしこれから日本は人口が縮小するというのにまだまだ開発が進められており、本当に大丈夫なのか少々心配になる。

高輪大木戸跡
JR高輪ゲートウェイ駅周辺

 13:26、泉岳寺に到着。忠臣蔵の赤穂義士のお墓があるお寺であるが、疲れたのでここで一休み。境内にある松の木が見事。
 小休止後15号を歩くと、品川のビル群が見えてくる。寒さのせいか足が少しつりはじめ、左手にプロントが見えてきたので大休止(14:10-15:05)。ホットココアが五臓六腑を温めてくれる。
 そしてJR品川駅には15:10到着。もう少し頑張って大井町まで行きたかったが、無理しても足でも痛めようものなら元も子もないので、初日は品川で終了。この調子でゆるく行こう!

泉岳寺。一本の松の木がとてもよい。
春はまだ先
品川の巨大ビル群

記録

  • 総歩数:20,640歩

  • 実際歩いた距離:12.4km

  • 訪れた宿場等:日本橋・品川宿

  • 宿泊:なし

本日の行程

日本橋から品川までのルート

広重の絵

(出典)絵は以下のサイトより引用

「日本橋 朝之景」
 東の空が白みはじめた早朝、木戸が開き、参勤交代のために国元に帰る大名行列が日本橋を出発し、魚屋が魚河岸に魚を仕入れに出る様子が描かれている。
「品川 日之出」
  江戸時代の品川は海辺にあり、御殿山のふもとにある。明け方に日本橋を発った大名行列が品川宿に到着する頃には明け方を迎える。
手前は宿場の出入り口を示す掲示杭、海側には茶屋がある。


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