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地元が好きでたまらない話。

8月のとある日曜日、地元に帰って祭りに参加した。
コロナで数年は祭りができなかったので4年ぶりの開催だそうだ。
その祭りで小学生の時の同級生にも会ったし、そのお母さんにも会った。
小学校卒業して実に15年ぶりに会うお母様方が私のことを覚えててくれたことがここ最近で一番と言っていいほど嬉しかった。顔も面影もその時からなんら変わっていないってことは良い意味で受け取ろう。

地元ということで、小学生の時に住んでいたマンションは東京のとある町の4丁目内にあった。そのマンションの周りはほとんどが戸建。町内にある公園で、夏にはカレーパーティー、盆踊り、花火大会がある。私の家庭は夜は一家団欒するのが染み付いていたから、夜の時間に友人とカレーを食べたり花火を見たりして非日常を過ごすのは年に一度の楽しみだった。こういった夏の行事が大好きだった。
 

4丁目内の奥まったところにある戸建に住んでいた(今は地元を離れている人がほとんど)友達が何人かいたのだが、彼ら同士は血の繋がりがないがまるで家族のように、複数の世帯が共存していた。そこに住む友人の家も今回かなり久しぶりに訪れたところ、彼女の母親と隣の家の母親がすっぴんのままお互いの家の中まで行き来している様子が伺えた。この光景は15年前と変わらない。家族の垣根を超えるほどの異常な仲の良さに、もはや安心すら覚える。

ところで、最近のマンション事情によると、町内会には入らなくても良いらしい。
会費は払わないといけないし、人付き合いが苦手な人からしたらそういう傾向はいいのかもしれない。親目線だと入りたくない派が多いのだろうか。確かに地元の噂って秒で広まる。親からしたら迷惑なのかなぁ。
私が小学生だった時も友人の家に行くとそこの母親がよく、「〇〇ちゃんのお家、5丁目に引っ越すんだって」「〇〇君どこどこ中学受験するみたいよ」といつも本人の家族または知り合いから聞いた話を披露された。

子ども目線だと、楽しみしかない。イベントに参加すれば必ず参加賞がもらえるし。現に大人になった私は、子どものときに感じた地元の結託感が今でも大好きだ。自分にとって地元と呼べる場所があることが誇りだ。久しぶりに地元に行った時でも誰かしらに会って、ちゃんとお互い認識して少しの間立ち話をするあの時間がたまらない。

地元という小さいけどこれまで所属してきたコミュニティの中でも1、2位を争うほど一体感があり異質なコミュニティに帰る場所があるのは困った時にいつでも逃げ込めて、また初心に帰れる。

地元で生まれて地元で生涯を過ごすのは下流社会だなんて説いている本を見たことがあるけど、幸せならそれでいいし、形だけで本質の伴わない移住生活より全然いいのではないだろうか。
地元の生活、人、文化を愛せる人がいるから他の地域と合併されずに存続できているし、私は違う地域に住み着いてしまったけど、幼い頃の視線で見た地元と今とでできれば変わらない姿のままいてほしいとずっと思っている。地元の文化を残すことは地元の友人に託しているが。

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