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中学生を理解する1

理解しようとしているが

 「生徒理解」の、理解するってどういうことだろう。年度当初や夏に行われる「生徒理解研修」は、彼らを理解できている研修になっているとは思えない。それは、「やっぱり、家庭や本人の問題です。改善してください、改善させてください。」と、言っているつもりはないが・・・改善を家庭や本人に求めることが多いからだ。
 理解するつもりで、彼らから話を聞いているが、彼らが見ている世界をわたしたちは見ていない。子どもが語る言葉や感情をわたしたちの評価基準で評価し、わたしたちの価値基準で測っている。子どもは「どうせ分かってくれない」と感じ取り、会話は断絶する。繰り返しになるが、子どもが見ている世界を、わたしたちは見ようとしていない。

話が通じない子どもたち

 話が通じない、どうも分かってくれない。なぜ、あのようなことを言うのか。なぜ、あのような行動をとるのか。なぜ、相手の気持ちが分からないのか。なぜ・・・
 話を聞いて、状況を整理して、説明した。理解したから、もう言わないはずだった、やらないはずだった。自分が悪いことは認めたはずなのに逆切れし始めた。なぜ・・・
 日々たくさんの子どもと接する中で、教員がよく感じてしまう「なぜ」である。根本的に、何かがかみ合っていないと感じつつも、良い解決策を見いだすことができないまま「なぜ」が積み重なっていく。そして、子どもは、「先生はわたしのことを分かってくれない」と言い、先生は「話が通じない子だ」と嘆く。感情が表面化して、双方の言葉は敬意を欠き、溝は深まるばかりとなっていく。

「当たり前」って

 朝起きたら歯を磨くのは当たり前だよね。朝食を食べるのは当たり前だよね。人に会ったらあいさつするのは当たり前だよね。お皿は自分で洗うのは当たり前だよね。洗濯は家の人がやってくれるのは当たり前だよね。遊びに行こうと誘ったら、ふつう断らないよね。
 「当たり前」という言葉は、一般的に「普通」「当然」「通常」といった意味を持って、多くの人が共通して理解していることや常識的なこと、通常の状態を表す。しかし、この当たり前が通用せず、行き違いやトラブルの原因となることが日々の学校生活では往々にしてある。
 「これって、当たり前だよね。これって、普通のことだよね」と、人はなぜ思ってしまうのか。そして、わたしたちの当たり前はどのようにして創られているのだろうか。

わたしたちの物語

 わたしたちの頭の中には箱があって、そこにはたくさんの「物語」が詰まって、生活はこれらの物語で成り立っている。同じ体験をしても、物語は人によって違ってくる。箱の外枠は、人生経験や学習によって作られて、目の前の事象に意味を与え、自分が何者かを規定している。朝、起きるにも、自分が何者なのかと、自分の真実を把握する必要があるので、外枠はかなり丈夫にできている。普段の会話でわたしたちは、この外枠は「正しいもの」と信じている。
 箱の中は、自分に関する「コンテクスト(文脈)」の領域となっていて、そこには、自分にとって最も価値のあるもの(価値観)、自分や人間関係を保つために必要なもの(社会的欲求)が入っている。そして、この価値観や社会的欲求に基づいて、わたしたちは物事の善悪や成否を判断している。
 つまり、「コンテクスト」が生活のルールを作り、ルールには重要性に従って優劣がつけられている。そして、ルールは他人に対して求める基準にもなっている。
 信条や偏見、憶測は、経験から生まれるが、それらは価値観や社会的欲求といったフィルターを通して形づくられている。人生経験を重ねながら、わたしたちはコンテクストに照らして、その時々の状況に意味を与えており、その意味づけが物語となっている。そして、これがわたしたちのオペレーティング・システムで常に駆動し、当たり前の概念となっている。

変革的コーチング  マーシャ・レイノルズ著

自分から見えている世界

 脳には情報を保存するという機能が備わっている。中でも、情動記憶、驚き、喜び、快楽、悲哀、怒りの感情を伴ったものは強く保存されやすい。中学校3年生の時、青信号の横断歩道で左折のトラックにはねられたことがあるので、今でも周囲の確認は忘れない。高校生で歩いた薩摩半島縦走47kmの風景と仲間の顔、先生の「あと○○kmだぞ」サギ(笑)もよく覚えている。今まで経験したこと、特に感情を揺さぶられたことは、今の私に大きな影響を与えている。
 なぜか覚えている言葉もたくさんある。繰り返された言葉、情動を伴ってぶつけられた言葉、感情を揺さぶられた言葉は忘れない。それを言った人と表情もよく覚えている。そして、ネガティブな言葉は、ネガティブな自己イメージとなり、ポジティブな言葉は、ポジティブな自己イメージとなった。
 中学生のころは家と学校くらいしか活動場所がなかった。良くも悪くも、親と先生の言葉の力は絶大だった。比較検討するものがないので、そのまま受け止めざるを得なかった。ポジティブな自分になるのは難しく、いま考えると一番しんどい時期だったかもしれない。そんなもんだった、親や先生の言うことに強く影響されていた。それがわたしの「当たり前」だった。

その子の物語を聞く

 中学生のころ、自分から見えている世界に、興味を持ってくれる人はいないと思っていた。でも、聞いてくれる人がいたら話したかもしれない・・・

どんな気持ちになったら、話してくれるのか
どんな気持ちになったら、話していただけるのか
それは・・・
熱心に聞いてもらっていると、感じるとき
理解してもらっていると、感じるとき
安心だと、感じるとき
信頼できると、感じるとき

だから、やってはいけないのは
〇話を聞かないこと
〇自分がしゃべること
具体的には・・・
・話をさえぎること
・評価すること
・アドバイスを急ぐこと
・感情を否定すること
・質問攻めにすること
・自分の話ばかりすること
・反応しないこと

話しやすい環境づくりのために、教育相談のやり方を、ぜひ参考にしてください。

 彼らの物語をありのまま受け止めてください
 彼らから見えている世界を、ありのまま受け止めようとしてみてください。そうすれば、彼らは自分に期待し、未来に希望を持つことができ、描いている未来を実現することができます。学校は子どもの未来をつくる場所であり、教員は未来志向のコーチでありたいと願っています。

次回は「中学生を理解する2」です!

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