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「ヒマ」 が怖い病



病気なんて大げさに書いちゃったけど、ヒマが怖い。というか苦手。


自分は有意義な時間を過ごせていると自分に言い聞かせるように、
人と会ったり、本を読んだり、身体を動かしたり、、

もちろん根底には「自分がそうしたいから」というのがあっての行動
なんだけど、たまに、何をこんなに焦っているんだろう?と思う事がある。



今月の4月から、私は部署異動をして、新しいチームの中で仕事をしている。今はその研修中で、新しい知識のインプットに励んでいる。

こんなご時世でもあるから、トレーニングの進め方にはある程度
裁量があって、集中が切れた日には次の日にパスしたり、逆に終日詰め込むような日もある。要は、自分で仕事とプライベートの時間配分を組んでいるような状況だ。



こういう働き方やライフスタイル、実は前から目標でもあった。
自分で裁量をもって、働く場所やスケジュール、その他の時間を調整する。
(もちろんチームや他関係者との調整はあるけれど)



念願の日々を過ごしている一方で、こういう風に、自らスケジュールを調整していく体制になってからは本当に勉強の日々だ。

「何かをしなきゃ」とか「次はこれをしよう」って考え続ける思考って、
誰でもなく自分で区切りをつけないと、誰も止めてはくれないからね。



今日は、「何もしない事=ヒマ」に対する怖さに どう折り合いをつければ
良いのか、ゆっくり考えてみたい。




・「何もしない」を出来るのって、才能だと思う



旅行へ行ったとき、ビーチのパラソルやプールサイドに寝転んで、ただ
お昼寝や読書、海を眺めている人たちを見かける。

タクシーから窓を眺めた時、お店の前に立ち、ただただお客さんを待ち続ける店員さんを見かける。

病院や銀行など、自分の番号が呼ばれるまでの時間で、ぼーっと
待っている人たちを見かける。



このようなシーンを見かける度に、「すごいなぁ」と感じる。
私が最近している、自ら時間を調整するそれとはまた違う形で、時間に
縛られていないなぁと思う。


そう思うと、ある意味私は完全に時間を支配出来ているとは言えない。

私がもしビーチサイドに居たら、「あとでアップする写真撮ろう!」とか
「何かアクティビティはないかな」なんて考えちゃうし、
病院や銀行の待ち時間は、本を読もうとか、この時間でメール返そうなんて
思ってしまうだろうし。

どこにいても、何をしていても、いつも次にやることを探してる。


なんだか落ち着かない感じで、これがずっと続いているのは良くないなという自覚があった。
だから、自分なりのオンとオフのスイッチを持つべきなのかと思ってた。



でも、オンとオフで切り替えた方が良いという解決策については、
結論としては私はノーだとここ最近は考えている。
切り替えるんじゃなくて、ここはグレーでも良いのではないかと思う。


自宅がそのまま勤務地にもなり、オンラインでのやり取りが増え、
どこにいる誰とでも、いとも簡単に仕事が出来るようになった。

そんな環境の中で、切り替えるべき事項(仕事やプライベート)の境目ってどんどん無くなってきていて、双方が溶け込むような生き方の方がむしろ
自然であるように思う。



だから、今私が思うヒマが怖いというのもある意味健全で、ヒマが怖くなくなる状態を、そもそも目指さなくても良いのではないか。


出来ないのであれば、出来ないまま受け止める。
ある意味こんな感じで、今のまま変わらず生きていくのも時代にフィット
していて、悪くはないのかも。


ただ、この考え方が有効なのは、自分なりのリラックス方法を知っているという前提がある場合に限る、とも思う。

私でいえばそれはヨガだったり、サーフィンだったり、友達とのごはんだったり。



自分なりのリラックスの方法を見つけて、オンオフが付けづらい、グレーな感じも受け止める。これからはそんな術も必要かもなと思った次第でした。




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