『老人と海』とビジョンと利益(9/50)
「ビジョンだけで生きていけるんですか?という質問を別の会社でされました。平尾さんはどう思いますか」
最近人事面談にいらっしゃった学生の方が仰いました。その方は、共感できるビジョンの実現のために働きたいという意思を強く持っている方で、社内におけるビジョン浸透度についてご質問いただいた流れでこの話をしました。その問いに対する私の回答は「(ビジョンだけで生きていけるのか、という)その質問自体が大変ナンセンス」というものでしたが、直近お会いする学生の皆様を見ていると、ビジョンの実現と利益創出とのバランスについて気にされる方が多い印象です。
この問いが発生している背景について、私はビジョンと利益が対立構造として認識されやすいことが原因ではないかと考えています。ビジョンの体現を目指すこと=利益を二の次に考えること、という印象を持つ方は、案外多いのではないでしょうか。
『老人と海』は、後期ヘミングウェイの傑作として名高い一冊で、ヘミングウェイは本書でノーベル文学賞を受賞しています。本書は、とあるキューバの漁村に住む漁師の老人が、長い不漁に苦しみながらも大物を求めて三日三晩の漁に出るという物語です。
ビジョンと利益の関係性は、本書における”大物を求める”という目標と、”三日三晩の漁の成果”との関係性に似ています。両方においてこの2つは対でなく、直線関係を持つものだと認識しています。ビジョンを実現するために利益の創出があり、大物を求めるために三日三晩の漁があります。
何かを実現するためには戦略が必要になります。これはビジョンにおいても同様で、いつどのような状態でビジョンを実現するために、このタイミングでどれだけの事業利益を創出する、という事業戦略が引かれます。ゴールに向けて正しい戦略を引き実行できていれば、単純に考えるとゴールに到達するはずで、到達できないとすると、理由はその設計が元々破綻しているか、もしくは運が悪かったのか、のどちらかになります。そして、ビジョンと利益が対立関係を持つかのように錯覚される理由は、この”ビジョンというゴールを設定し、正しい戦略を引き実行する”ことが(運を含め様々な理由が想定されます)実はかなり難しく、「実現できている」と確固たる自信を持って言える企業が少ないからではないかと、個人的に感じています。
だが、おれのやり方に狂いはないからな、と老人は思った。いまはツキに見放されているだけだ。毎日が新しい日だ。運が向けば言うことはない。とにかく正確な手順を守ることだ。加えて運が向けば、何もかもうまくいく
ここで最初の問いに戻りましょう。果たして企業は、ないし人間は、ビジョンだけで生きていけるのか。答えは明らかにNOです。これは答えがどうというより、さきほどの仮説を正しいとするならば、問い自体が破綻しています。
それでは、例えば就職活動をする際にまず何と問うべきか。私は「このビジョンにかける何十年は、果たして歩む価値のあるものだろうか」ではないかと思っています。ビジョンというものは、示す対象が広ければ広いほど、超えるべきハードルが高ければ高いほど、実現が難しいものです。一見実現しづらそうなビジョンにワクワクする人もいるでしょうし、実現可能なビジョンを確実に実現させてゆくことが好きな人もいるかと思います。
その上で個人としてどのようなビジョンを掲げるか、ないしどのようなビジョンを掲げている企業に就職するかは、実現可能性ではなく意思の問題だと、個人的に思っています。
小説の中でサンチアゴは、3日間の格闘の末に見たことのないような大魚を仕留めますが、沖に出てから村の港に戻る途中、不運によって獲物を手放してしまいます。村に帰った後、残っていたのは魚の骨と頭のみ。結局大魚はお金にならず、老人は疲れ果てたまま、いつもと同じようにベッドで眠りにつくのでした。
元々の不漁に加えて、誰も見たことのないような大魚を激闘の末に仕留めたにも関わらず、持ち帰ることができなかったサンチアゴ。彼はまたその日の夕飯にもありつけぬ生活に戻ります。そんな彼がビジョンを描いて得たものは、結局何だったのでしょうか。
生き様であると、私は解釈しています。作中にマノーリンという、サンチアゴの弟子的立ち位置の少年が出てきます。彼は元々サンチアゴの船に乗り一緒に漁をしていましたが、サンチアゴが40日連続で不漁を出した際に彼の親はサンチアゴを見限りました。しかしマノーリンは、サンチアゴが40日の倍の80日獲物なしで帰ってきても、彼を最高の漁師だと信じて疑いません。サンチアゴが3日の漁から帰ってきた後もただ一人、マノーリンはサンチアゴに駆け寄って涙を流しました。
向き合うビジョンが大きければ大きいほど、当たり前ですが結果は出にくくなります。しかし、積み重ねた生き様はその人の目や態度に現れるものであり、信頼に足る人物は必ずそれを見抜くものです。
ビジョンというのはそれだけで生きてゆくものではなく、その実現を目指すために生きてゆくもの。その過程で定期的な利益創出が必要であることは間違いありませんが、何に向き合い何を目指すにしても、選択肢をご自身の意思で選び取り、悩み考え行動する過程で魂を磨き続けることこそが大切なのではないか。この本を読んで、私はあらためてそう感じました。
人間は、負けるように造られてはいないんだ。殺されることはあっても、負けることはないんだ。
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