政治家は優秀なフリしちゃダメ

この状況を私はすでに6年ほど前に聞いていた。「忖度だらけですよ」。官僚のトップに上り詰めても、政治家にたてつけば簡単に飛ばされる。この結果、官僚トップは政治家に盲目的に従う人間ばかりになってしまった、という。
https://shueisha.online/newstopics/111029

官僚にも色々いるが、国を思い、この国をよくしようという志を持って官僚になった人間も多い。そんな彼らからすると、大切なことを伝えようとすると首が飛び、出世できるのは政治家の言うことに揉み手をしながら従う人間になってしまったのでは、やりがいを見出すことはできなかった。

私が知っている官僚の少なからずが辞めてしまっている。これは、と思う人物であればあるほど。
すでに6年前に、官僚は人気を失い始めていた。国をよくすることができないなら、官僚になる意味はない。そう思うと、東大法学部卒の人間は官僚の道を選ばなくなり始めていた。

それからしばらくして、東大法学部自体が人気を失い始めている、という話も耳にした。今回の記事で、そうした現象が数字ではっきり表れている。6年前に聞いた段階では「兆候」だったが、その兆候ははっきりと現実化してしまったわけだ。

私はなるべく「兆候」の段階でつかみ、警鐘を鳴らしたいと考えている。統計などの数字で把握できる頃にはすでに症状が深刻化しているからだ。自覚症状が現れる前に何とかしたい。そう思って訴えるのだが、兆候でしかないときはなかなか取り合ってもらえない。数字が出ていないと信じてもらえない。

殷の紂王は悪王として名高いが、もともとは非常に優秀な王様として知られていた。しかし、そんな彼に変化が現れた。食事に使う箸を象牙製の高級なものに変えた。それを見た家臣の箕子は、国が亡びるのを予見した。たかが箸を象牙にしただけで。

箕子はなぜ、箸が象牙に変わっただけで国が亡びると予見したのだろう?箸が豪華になれば、食器も豪華にしたくなる。すると机も、部屋の調度類も、建物も、庭園も、となって、際限なくぜいたくにしたくなってしまう。すると国民がその負担に耐えられなくなり、滅びるだろう、と考えた。

このたとえで言うなら、今の官僚システムの問題は、箸を象牙にした段階を飛び越えている。もはや兆候ではなく、はっきりした現象となってしまっている。私は何度もこの件に関しては警告を発してきたが、当時の政権はまともに聞こうとしなかった。残念。

今、優秀な人材は官僚となろうとせず、外資系などに就職する。日本企業でさえない。海外に本社を置く企業。日本で学び、磨かれてきた人材が、海外の企業を栄えさせるために働く。それが日本の繁栄につながればいいが、どうもそうは思えない。これはなかなか、長期的に見てまずい兆候。

政治家が気に入らなければ左遷する、ということを繰り返した結果、優れた人材は官僚になろうとしなくなった。政治家の思いつきのアイディアを実現させられるようになり、官僚は辟易するようになった。これでは、優秀な人材を引き留めることはできないし、なろうともしない。

昔の政治家は、官僚をうまく使っていた。たとえば田中角栄は小学校しか出ていない。官僚は東大法学部を出たエリートたち。けれど、角栄は優秀な官僚たちにアイディアを出させ、話をよく聞き、その上で決断するという形をとっていた。官僚はやりがいを強く感じていたようだ。

官僚は日々、行政に携わる中でいろんな問題にぶちあたる。「現場」をもつことで、法律の欠点などが見える。それを修正する必要を感じると、政策を立案し、それを政治家に提案したりしていた。官僚がシンクタンクの役割を果たしていたというゆえん。

しかし、「選挙でえらばれていない官僚が政策を決めるのは何事か」という指摘がなされるようになり、政治主導が叫ばれるようになった。その結果、政治家が官僚の任命権を握り、官僚トップは政治家が好きなように決められるようになった。すると。

官僚が「その政策を進めるとこんな問題が起こります」と諫言しても、政治家が「俺に逆らうのか!」と怒ってクビにするようになった。戦後昭和の政治家なら、「どういうことか、話を聞こう」とゆったり構えていたのに、昨今の政治家は狭量で、思い通りにならないと怒ってクビを飛ばした。

そんなことが相次いで、しかも政治家が自分のお気に入り(耳に心地よいことしか言わないヒラメ人間)をトップに据えるようになった。これで若手官僚はすっかり嫌気がさした。こうしたヒラメ官僚は、部下の言うことなんか聞かない。上の政治家のご機嫌をうかがうことしか考えない。

で、官僚をやめてしまった。
そもそも、「官僚が政策を決めていた」というのは間違い。政策を決めるのはあくまで政治家。官僚は現場で起きている諸問題を列挙し、それを改善する法案があるとすればこれ、と「提案」するまで。どれを採用するかは政治家次第。決定権は政治家にあった。

結局、東大法学部を出たトップエリートのクビを飛ばせる俺ってスゴイだろ?という、器の小ささを感じる。戦後昭和の政治家は、学歴こそないが、官僚の話をよく聞き、決断の見事さで、官僚の尊敬を集めている人も多かった。そうなればいいのに、どうもここのところ、そうなっていなかった。

日本の行く末をとことん考え抜く人材が官僚にいなくなってしまったら、国の機能は大幅に低下することになるだろう。私は学歴はさほど重視していないが、優れた人材が「官僚になりたい」どころか「なりたくない」と思うようになったこの現状は、非常に憂慮すべき状態だと思う。

政治家は、自分の「器」を大きくしてほしい。自分の思い付きのアイディアを東大出の人間に実現させて悦に入るという小さな器を見せないでほしい。むしろ優秀な人材に真剣に考えさせ、アイディアを出させ、その中でもっともよいアイディアをチョイスする、という器の大きさを見せてほしい。

政治家は、自らが優秀である必要はない。大切なのは、優秀な人材を使いこなすこと。
漢帝国を築き上げた劉邦には、項羽のような武力もなければ、范増のような知略もなかった。しかし劉邦は、韓信、張良、樊噲といった豪傑や名軍師たち優秀な人材を使いこなす「器」があった。

政治家に必要なのは、この「器」。自分がお山の大将になっていい気分になるのが器ではない。優れた人間たちのアイディアを採用するのが器。自分が優秀である必要はなく、周囲が優秀であるようにするのが「器」。

戦後昭和の政治家では当たり前だったことが、昨今の政治家は分からなくなっているらしい。自分が優秀な人間であることを証明したいという小さな欲望を実現しようとしてしまうらしい。それでは、優秀な人材を使いこなせない。

むしろ大山巌のように、年をとればとるほど、一見愚かな風に見せ、部下の頑張りをニコニコみつめ、イマイチなアイディアの時は首をかしげて「もうちょっと考えてみて」、素晴らしいアイディアが出てきたら目をむいて驚き、喜ぶ。そうしたトップだと、部下はとことん頑張れる。

劉邦や大山巌のような政治家が増えてほしい。もしそうなれば、官僚は再び魅力的な仕事になるだろう。優秀な人材が増えるだろう。政治家は自分が優秀なフリしちゃダメ。部下たちが優秀さを光らせるように仕向けるのが仕事。そこを勘違いしないでいただきたい。

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