「高消耗」消費から「低消耗」消費へ ネット産業への人口移動

もう10年ほど前になるけども。若い人はクルマを欲しがらないと聞いたので試しに学生に「スーパーカーって知ってる?」と聞いてみた。すると「太陽電池で動くクルマですか?」という答え。彼らにとって、エネルギーを無駄に使うものは格好悪く、省エネこそが格好よいものになっていた。

私の世代はバブルも経験し、「生活を豊かにすること」イコール「エネルギーや資源を浪費すること」という思考がこびりついている。そうした世代の人たちには、省エネしながら豊かに生きるというのは矛盾した表現に見える人もいるらしい。しかし若い世代は省エネ・省資源は前提中の大前提。

実はバブル世代でも、似たような現象が。好景気の日本ではミンクのコートが大流行。そのためミンクが絶滅の危機に。そしたらピタリとミンクのコートを着る人がいなくなった。ミンクを着るのは絶滅に追いやる残虐な人間、という格好悪さが出たから。お金持ちは格好悪いことをしたくない。

昔、中国で紫の服が大好きな王様が。それにあやかろうと紫服が大流行、紫服の価格が高騰。王様は困り果てて大臣に相談した。「あなたが嫌えばいいんです」。翌日、紫服を着てきた家臣がいたら「紫は臭い、その臭いキライ」と嫌な顔をした。すると紫服を欲しがる者はいなくなった、という話。

カッコいい、カッコ悪い、というのは表面的で浮薄な考え方のように捉えられがち、軽視されがち。けれど「カッコいい」は多くの人を動かす力がある。「カッコ悪い」は人を遠ざける力がある。持続可能な社会にしていくのに、この「カッコいい」「カッコ悪い」のデザインは重要。

私は、経済を活性化させるには消費(需要)を促す必要があるように思う。ケインズが打ち立てた経済思想に近い。ただし、大量生産大量消費は、ともすればエネルギーと資源の無駄使いを促すことになりかねない。消費は促すが、エネルギーと資源の「消耗」は抑える必要がある。

若い人はクルマを別に欲しがらないが、スマホでゲーム、読書を楽しんだりしている。スマホのわずかな電力「消耗」で、様々なエンターテイメントの消費をしている。この方向性を強化すれば、エネルギーや資源の「消耗」を抑えた消費が可能になるかもしれない。バーチャル消費で「消耗」を抑える。

しかしそれだと、エネルギーや資源を「消耗」しがちな実体経済で働く人達は売れ行きが悪くなり、生活していけなくなる。この人達の稼ぎを、実体経済から(ネット上の)バーチャル経済に移す必要がある。その時重要なのは、GAFAを初めとするネット企業だろう。

ネット企業は、新自由主義が盛んな時代と同時に成長したためか、人をコストとみなし、人件費を圧縮して売上を最大化することに血道を上げてきた。このため、人を雇う実店舗の書店はコスト高で潰れ、実店舗を持たずに済むネット企業は高い収益を確保できる。そうして儲けても人を雇おうとしなかった。

けれどいよいよ、ネット企業の存在感が増してくるに従って、実店舗は次々潰れ、人をろくに雇わないネット企業が伸びることで、全体としては雇用が少なくなってしまった。新型コロナで、さらに居酒屋や旅館など、対面型実店舗の経営は大きな痛手を被っている。

実店舗経営は今後も厳しい状況が続く恐れがある。もしそうなると、ネット企業も事情が変わってくる。ネット企業にとって、人は雇おうとすれば「コスト」なので、なるべく人を雇わず、あくまで人はお客さん、消費者でしかない、と位置づけてきた。しかし。

ネット企業が人を雇わず、実店舗経営が潰れていく社会の中で、多くの人が路頭に迷い、低賃金に苦しみ、消費したくても消費できなくなり始めた。消費者でいられなくなり始めた。ネット企業のお客さんが姿を消しつつある。ネット企業は実店舗経営を破壊し、自らは人を雇わないことで、消費者を減らした。

ネット経済はいよいよ、実店舗経営と並ぶ経済圏に成長した。もしネット経済が人を雇おうとしなければ、消費者のいない世界で商売することになる。そんなの、売り上げが伸びるはずがない。ネット経済は、自ら消費者を育てる責任が出てきている。そう、人を雇用し、給料を支払い、消費者になれるように。

これまでネット企業は「優秀な人材しかいらない」としていた。しかしそれでは大多数の消費者が消費者でいられなくなる。仕事がない、あるいは低賃金だから。優秀でなくても、単純労働しか出来なくても、雇用し、消費者を育てる必要がある。
ここでドラッカーは面白いことを言っている。

時代はどうやらパソコンが職場に入りだした頃のようだが。その時も、コンピューターは専門知識のある人間しか触れないものだとされていたが、ドラッカーは的確に予見していた。「専門知識が必要に見えるコンピューターの操作も、いずれ単純労働でできる仕事が出てくるだろう」。

事実、別にC言語などのコンピューター言語なんか知らなくてもエクセルやパワーポイントを使いこなせる。専門知識がなくてもできることが増えた。おそらくネット企業も、その気になれば単純労働はたくさんある。雇用はできなくはないはず。

今後、ある程度成功したネット企業には、雇用を増やすこと、給与を十分提供することを求めていく必要がある。成功者はなるべく人を雇い、生活していけるようにするのが社会的責任、という気持ちを持ってもらえるよう、政治家も一般市民も求めていく必要がある。

戦後昭和には、そうした雰囲気があった。成功者のところには地元政治家が顔を出し、「あなたは成功者なのだからこれくらいの雇用はしてもらわないと」。そういう依頼が来るようになることを誇りにも思っていた。ネット企業も、雇用を依頼されるくらいに成功したのだな、と喜んでもらえるように。

実店舗のないネット企業の場合、どこが「地元」かわかりにくい面がある。地元政治家が依頼に行こうにも難しい。各自治体の政治家は、ネット企業に片っ端に電話をかけ、地元に誘致し、優遇措置を講じる代わりに地元市民を雇用するよう促す、という活動も今後は大切かもしれない。

実店舗を持たないネット企業にどうやって雇用を促すか。それによっていかに「消費者」で居続けられる労働者を増やすか。働き方もネットになれば、資源やエネルギーの消耗を抑えたネット経済を構築できるかもしれない。
いろんな試みを始めていく必要がある。

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