「FIRE人」考

「FIRE」という生き方に憧れる人が増えているらしい。投資でお金を増やし、働かずに生きていくという生き方。これについてはいろんな人がすでに議論しているし、クロ現でも特集を組んでるくらいだからすでに意を尽くしているかもしれないけど、私なりに言語化してみる。

まず思うのは、FIRE人が増えると社会としては困ったことになるのだろうな、ということ。FIRE人はお金を払うけど、働かない。ということは、労働者が減るということ。労働者が減ると、お金を払うと言っても労働を提供してもらえない可能性が出てくる。労働者不足の一因になるかも。

労働者不足なら外国人に来てもらえばいい、という考え方もあるだろう。しかし労働者が減った日本は、高い技術力を保つことも困難になるだろう。海外の人たちが欲しいと思える商品が失われれば、日本の経済的地位が下がる。その結果、円安が進行するかもしれない。すると、外国人は日本で働かなくなる。

外国人を低賃金労働で雇うのではなく、日本国内で技術開発も担う高度人材として採用するという手もある。アメリカがこれをずっとやってきて、移民技術者がGAFAと言われる巨大企業を支えている。しかしこれも問題なしとは言えない。アメリカでは、低所得白人層が高所得移民に反感を高めている。

いわゆるラストベルト(さびた地帯)の人たちだ。この人たちはニューヨークやシリコンバレーで活躍するお金持ち移民に反感を持っている。アメリカ自動車産業を支えた誇り高き白人労働者は、彼らから見下されていると感じ、反発。その恨みがトランプ大統領を生んだ。これと同じことが日本に起きるかも。

無理に日本の技術力を高めなくてもよい、海外に投資して、金融で儲けて、そのお金を日本に還流するなら、貿易赤字であっても経常黒字になって、日本の経済を維持でき、外国人労働者を雇用する経済力にもなる、という考え方もある。イギリスやアメリカなど、アングロサクソン国のやり方。金融立国。

ヒルファディング「金融資本論」という本がある。金融が様々な産業で支配力を示し、それが一種の植民地支配を可能にしていると指摘した本。まあ、この当時は銀行資本が支配力を持っていた時代なのだけど、銀行を株主に置き換えると、「金融立国」の実態も理解しやすくなるように思う。

しかし、金融立国のやり方も危ういように思う。ココ・シャネルは優れたデザイナーで、一大ブランドを築き上げたが、出資者にゴッソリ利益を持っていかれていた。自分が働いて稼いだお金なのに。出資者はお金を最初に出しただけで、働いていないのに。シャネルは恨みに思い、ナチスに協力した。

結果的に、ユダヤ人であった出資者を追い出すことにシャネルは成功する。こうした事例を考えると、「お金を出したのだから利益の配分を受け取るのは当然だ」という金融立国の考え方も危うい気がする。お金は出すけど働かない、なのに利益はとり続ける、という形は、恨まれる恐れがある。

シャネルは一個の会社の例だが、同様のことがキューバで起きている。キューバで革命が起きると、資本家たちが利益の大半を持って行った工場を国有化し、資本家たちの権利を否定した。資本家たちはもちろん怒ったが、言い換えればキューバの労働者から恨みを買い、それを蓄積していたからともいえる。

「出資したのだから、株主なのだから利益の配分を受けるのは当然」という考え方が、金融立国の基礎になっている。しかしシャネルやキューバの事例を考えると、あまりがめつい欲を出し、資本家が支配者然とした傲慢さを見せた場合、恨まれ、そして権利を否定されるリスクを抱えている。

それに、金融立国は、その国全体が外国の労働者に依存、寄生するという生き方。もし外国の労働者が働いてくれなければ、金融立国は成立しない。外国の労働に寄生するという生き方ができる国は、当然ながら少数でなければならない。宿主が死ぬほど血を吸った寄生虫は共倒れになるのだから。

寄生虫は、宿主である生き物が死なずに済む程度に吸血しなければならない。そのためには、宿主が大きく、寄生虫は小さくあらねばならない。すでにイギリスやアメリカのような巨大な国が金融立国やっている中に、日本も仲間入りしたら、寄生側が巨大化し過ぎてバランスを崩すかもしれない。

そう考えると、金融立国が可能な国は、世界の中でごくわずかな国しかできないことになる。イギリスやアメリカがすでに金融立国の地位にいる中、日本はそこに仲間入りできるだろうか?それで世界はもつのだろうか?その点に疑問が残る。

人間の労働に依存しなければという考え方が古い、人工知能やロボットの力を借りれば、もう人間の労働力は要らない、という考え方は、最近流行のように思う。確かに、セルフレジなど人手を減らすことのできる技術は最近目白押し。すべてを自動化すれば労働者は要らない、と考える人も多い。

しかし人工知能の研究者に聞くと、すべてを人間に置き換えるのは幻想だ、という。何か一つの機能を人工知能に置き換える、ということはいろいろ可能になってきたけれど、複雑なことはできないし、それをできるようにしようとすると、高額すぎるしエネルギーも大量消費するので割に合わないという。

ロボットを動かすにも燃料やエネルギーがいる。しかも、石油が採れづらくなっている。昔は石油採掘で消耗したエネルギーの200倍の石油が採れたが、今は10倍を切るようになった。3倍を切ると、ガソリンなどに加工したり輸送したりするエネルギーが足りなくなり、赤字になるという。

電気自動車が急速に普及しつつあるけれども、いまだに自動車・飛行機・船などの輸送機械のエネルギーのほぼすべてを石油に頼っている。大型トラックや飛行機、船は電気で動かすメドが立っていない。太陽電池で電気を作っても、それを貯める蓄電池の性能がまだ低い。お昼しかロボット動かないかも。

しかし製造業の多くは、24時間稼働するから調子を崩さず生産できるけど、お日様の照っている時間しか稼働できないとなると、不良品が増えるなどの問題が起きやすくなる。石油を利用しづらくなる問題は、人工知能やロボットを動かすエネルギーをまかなえるのか?という問題に直結する。

これだけ人工知能もロボットも発達した現代でも、たとえばトマトの自動収穫ロボットは実現のめどが立っていない。なぜかと言うと、人間の方が安いから。赤いトマトの存在を敏感に見抜き、複雑に手を動かしてハサミを入れる。安い経費でそれだけ複雑なことをやってのけるのが、人間。

現時点では、人工知能やロボットで自動収穫する仕組みは、経営的にまったくペイしない。やはり人間の労働力が必要。となると、人工知能やロボットが人の労働を不要にする、という考え方には無理がある。一部、人手不足を緩和する効果はあっても、全部置き換えることは不可能と考えるのが現実的。

そう考えていくと、FIREという生き方をする人が増えること、あるいは日本という国自体が金融立国を目指して、事実上、日本自体がFIRE人になるということは、現実的ではないというふうに思う。FIRE人の生き方の基本はやはり寄生であり、寄生はごく少数だけが選べる生き方のように思う。

なのに、多くの人々がFIRE人になれるかのような言説がはびこっているのは、ちょっとおかしいように思う。FIRE人は、あくまでその寄生的生き方が許容可能な程度の小さな存在である必要があり、それを支える労働力が十分巨大であることが必要。FIRE人は少数しか実現できない。

なのに、あなたもFIRE人に!みたいな言説が広がるのはなぜだろう?そのお金を当て込んでいる人がいるからだろう。そのお金が集まれば集まるほど利益を上げられるともくろんでいる人がいるのだろう。そしてその人だけがFIRE人となり、FIRE人を希望する大半の人は、お金を巻き上げられるだけなのだろう。

海外からのだましの手口で、「私はとある国の王子で、巨大な資産をあなたに預けたい。しかしそのための手続きにお金が必要なので、それを支払ってほしい」というのがある。で、騙されてお金を支払って、その巨額の資産はちっともくる様子がない、という手口。これと構図が似ている気がする。

FIRE人になれるのは構造上、ごく少数のみ。巨大な労働力が、FIRE人の寄生を許容できる範囲のみ。なのに多くの人がFIRE人に憧れ、自分もそうしたいとなるのは、小さなパイを奪い合うことに。でも結局それだと、寄生し損ねる人が増えるか、宿主である労働者が死ぬか、恨まれて寄生を否定されるか。

さて、投資には2種類あるように思う。起業するタイミングで出資し、起業する人たちから感謝される形の投資。ただ株式市場で株を買って手に入れる形の投資。前者は起業を支える重要な役割を果たしているが、後者は、せいぜい株価を支え、会社の魅力を支える程度。会社にお金が来るわけでもない。

起業時の投資は、経営者からもその会社の労働者にとっても感謝の対象になるだろう。しかしシャネルの事例を見てもわかるように、出資をしたからといって利益の大半を持っていくようでは恨まれる。感謝されるには、がめつさが度を過ぎないようにする必要がある。

起業時ではなく、市場で株を買っただけの株主は、株価を買い支える役割は果たしているけれど、それ以上でもない気がする。だから、配当もその貢献度に応じた小さなものにしておかないと、むしろ労働者から恨まれる恐れがあるように思う。

こうした話をすると、資本主義なんだから、当然の権利なんだから、という意見がよく出てくる。ただ私は、社会システムというのは多くの人たちが幸せに生きていけるように維持することが重要だと考えている。そのバランスが崩壊するなら、システムを変改する必要が出てくる。

誰かだけが得をし過ぎ、誰かが損をしすぎる社会システムであるならば、それは是正される必要がある。不公平感が恨みを育て、その恨みが劇的な変革を生んでしまう恐れがある。戦前の自由主義が、共産主義やナチスを生み、大量の虐殺を招いたのと同じように。

社会のひずみが大きくなり、恨みを蓄積していると感じられたら、バランスをとる必要がある。脂肪肝だと言われているうちに生活改善しないで、そのままの生活スタイルを続けて肝硬変になったら、もう取り返しがつかなくなるのに似ている。社会は、常にバランスを考える必要がある。

そう考えると、岸田首相が「資本所得倍増計画」を言い出したとき、私は「わかってんの?」と思った。FIRE人は少数しかなれない特殊な存在なのに、多数の人が実現可能なような幻想を国が与えてどうするの?と思った。その幻想を与えて、実際にFIRE人になれるのは、ごくわずかな人たち。

日本は今後、ますます人口が減少していく。高齢化が進み、労働力はますます不足する。それでいて、需要はますます大きくなる。このギャップが大きくなると、労働者の賃金は上昇せざるを得ないだろう。そうすると、FIRE人になったつもりの人も、わずかなお金では働いてもらえなくなる。

結局、FIRE人になれるのはごく少数、ということになるだろう。でもFIRE人の生活をしばらくしてしまうと、技能と知識を失い、労働者としての価値を失ってしまうかもしれない。FIRE人になれるという幻想を与えることは、罪深いことのように思う。

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