国債はいくら発行しても大丈夫、ってホンマ?

日本の国債はすべて国内で消化されているから大丈夫、国債は国民が保有しているわけだから、国債は国民にとって資産であり、借金ではない、という話が最近は流行っている。このあたり、もう少し細かく見ていこうと思う。

国債は誰が持っているのだろう?とりあえず私は持っていない。私と同じ、あまり裕福とは言えない人は国債を持っていないだろう。国債を持ってい人は、たとえ民間人であったとしてもごく一部のお金持ち。その人たちにとって国債は資産だろう。しかし国債を持たないほとんどの国民にとっては?

商品か、サービスか、あるいは税金の形で国債発行分を支払わなければならない。つまり、ほとんどの国民にとって借金。国債を保有している特殊な人だけにとって、資産。
国債を保有していないほとんどの国民にとって、国債は知らぬ間に背負わされた借金。

では、国債は誰が保有しているのだろう?ほとんどの国民は、国債を全く保有していない。しかし国債はすでに1000兆円を超える額まで発行されている。そんな大量の国債、誰が保有しているのだろう?多くの国民は、その保有者に対し、商品、サービス、あるいは税金として支払わなきゃいけない。

なんと、ほぼ半分(48.1%)を日銀が保有している。銀行が14.5%、生損保が20.4%、年金(公的含む)7.1%。金融関係だけで90.1%にも達する。国民(それでも国債持っているという時点で特殊だけど)はわずか1.2%しか持っていない。国債を国民が持っているなんてウソ状態。
https://www.mof.go.jp/jgbs/reference/appendix/breakdown.pdf

日銀は政府系の機関なんだから、国債をどれだけ大量に持っていても「同じ政府系のよしみ」で、その分の国債は借金として見なさなくていい、という人もいる。これについても、少し考えてみる。

日銀がなんでこんなに国債を持っているかというと、次のような流れ。日本政府が国債を売る際、日銀は直接購入しちゃいけないことになっている(法律で)。で、いったん民間銀行等が国債を購入した後、それを譲ってもらう形。事実上、トンネルでしかないから政府から直接購入しているようなもの。

だから事実上、政府が国債を発行する、それを日銀が買い取って、お金を政府に渡す、ということが行われていることになる。日銀の保有する国債は約500兆円だから、国民が一年、日銀のためにタダ働きする額に相当する。

花見酒、という落語がある。二人の男が、酒を1樽買って、それを花見客にふるまって儲けようと企んだ。酒を運ぶうち、飲んでみたくなった片割れが「おい、5銭払うから飲ませろや」と言って飲んだ。今度はもう片方ももらった5銭を相手に渡して「俺も」と飲んだ。5銭をやり取り、ぐびぐび酒を飲み。

ついに樽の中の酒は空っぽに。いやあ、売れた売れた。さぞかし儲かったろう、と売り上げを確認すると、二人の間でやり取りされた5銭玉一つだけ、というお話。政府と日銀の、国債とお金のやり取りは、この花見酒に似た構造になっている。

本来、花見酒では、お酒1樽分の価格を超える売り上げが出ないと、その分大損する。しかし花見酒の男たちは、自分たちの間でお金をやり取りして、売り上げは5銭のみということに。つまり、ほぼ丸々、1樽分の酒代を大損したことになる。

花見酒の男たちは、樽酒1個分の借金を背負ったことになる。
日銀は日本政府から、国民が提供する商品やサービス、あるいは税金という形で返してもらうアテで、500兆円もの国債を購入している。しかし、国民が飲まず食わずで1年タダ働きに相当する金額は、かなりきつい。無理。

日銀がもし「いいよいいよ、どうせ俺たちも政府系、同じ政府系のよしみで、国債の分を商品やサービス、税金の形で返してもらわなくてもいいよ。どうせ紙切れ印刷するだけ(最近ならデジタルの数字書き換えるだけ)なんだから」と気前の良いことを言ってくれたらどうなるんだろう。

お金の価値が大暴落する恐れがある。お金は、1万円なら1万円相当の商品、サービスと交換してもらえる価値のあるもの、という「虚構」を私たちは共有している。だからお金として通じる。けれど、日銀が「国債分のお金、返さなくていいよ」と言ったとしたら。

「あ、いいの?じゃあもっと国債発行するから、全部引き取ってね」と政府が調子に乗ると、日銀が無頓着にお金を発行することになりかねない。お金が世の中で余って、商品やサービスを今までなら1万円のところ、2万円で売る、ということになりかねない。
が。ここで不思議なことが起きている。

本当なら、すでに日銀が野放図に国債を買い、政府にバンバンお金を渡している状態なので、インフレが起きても不思議じゃない状態。なのにそれが起きていないのはなぜか?お金が大量に市中に出回っているはずなのに、国民のほとんどはその恩恵にあずかれていない。どこに行っている?

どうやらお金は、働く労働者のところに出回る形で発行されていない。お金のある所にお金が増えているだけ。お金持ちのところとか。市中であふれかえるはずのお金は、お金持ち(個人とは限らない)が市中からチュウチュウ吸い上げることにより、お金が国民に出回る量が引き締められている。その結果。

国民は働けど働けど、手にできるお金は相変わらずわずか。ところがお金持ち(個人とは限らない)には、チュウチュウ吸ったお金がたんまり増えて、そのうちのほんの一部を使うだけで、貧乏な国民が必死になって働き、商品やサービスを提供してくれる。貧富の格差を巨大化する仕組みとして働いている。

政府が国債を発行して日銀にお金を出してもらい、そのお金をどう使うかが非常に重要。現在は残念ながら、働く国民に行き渡る形になっていない。
金融商品を持っている人は、今、バブリー。金融商品の価格がどんどん上昇して、それにより、市中に出回るはずのお金が吸収されてしまっている。

ミヒャエル・エンデは、お金に2種類ある、と指摘している。誰かが働いたことで生まれた商品やサービスと交換され、私たちの生活を事実支えている、お金。そしてお金のやり取りだけでお金を儲ける、株式市場などの金融商品のやり取りで使われるお金。そして後者の動きが現代では膨大になっている。

前者のお金を「労働のお金」と呼び、後者のお金を「金融のお金」と呼ぶことにすると、金融のお金の方がはるかに巨大になってしまって、政府がいくらお金をつぎ込んでも、そちらの流れを膨らませる方に吸収され、労働のお金は、一向に増えない。なぜか?

お金持ち(個人とは限らない)は基本、お金を使わないから。お金を増やすのが趣味で、お金を使うのは嫌い。だから、金融商品のやり取りでお金を膨らませようとする。すると、金融関係の方にお金がどんどん吸い取られて、労働のお金には回りにくくなっている。株主資本主義は、それを加速している。

最近はやりのMMTを採用したとしても、お金の流れが「金融のお金」に巻き取られやすい構造をそのままにしては、全然うまくいかないだろう。ただお金持ち(個人とは限らない)にお金を吸い取られるばかりで、働く人たちは楽にならない。

ではベーシックインカムは?
これも慎重になる必要がある。かの竹中平蔵氏が、ベーシックインカムいいんじゃない?、と言い出した。竹中氏の狙うのは、ベーシックインカムを実現する代わり、年金や健康保険などの福利厚生一切合切を止め、むしろ国民に行き渡るお金の総量を減らそうとしている可能性。

今の日本に大切なのは、お金を刷ることより何より、お金が「労働のお金」に回らない構造をなんとかすること。これを放置したままお金を発行すると、「金融のお金」が膨れ上がるばかりで、国民の貧困問題は解決しない。お金の流れこそが根本原因。

ただし。「労働のお金」を増やすにしても、慎重さが必要。日本は高齢化社会。介護に多くの労働力を必要とする社会。もし仮に、介護者に十分な給料を回したら、どうなるか考えてみよう。給与面が改善されたら、介護職になろうという人がわんさか増えるだろう。すると。

海外に商品を売って儲ける企業は人手不足になり、十分なお金を稼ぐことができなくなるかもしれない。すると、海外から食料を買うためのお金が無くなり、日本は飢えてしまうかもしれない。日本の国土は狭く、全国民を養うだけの食料を作れない。どうしても当面は、輸入食料が必要。

だから、海外と貿易して儲けてくれる企業と、介護職と、労働力をうまく塩梅することが必要。介護職に十分な給料を支払うと海外から食料を輸入する経済力を失い、貿易企業にお金が回るようにすると介護職で人が足りず、結局家族で介護しなければならなくて働けず、のジレンマ。

高齢者を支えつつ、海外との競争にも打ち勝てる企業を育成する。限られた労働力をうまく案配し、稼ぐこと、高齢者を支えること、その両立を図らなければならない。非常に難しいかじ取りが求められる。

ただ、この心配は先の話。ともかく、今の日本は、お金持ち(個人と限らない)にお金が回って、労働者にお金が回らない構造が行き過ぎ。まずはここを是正する必要がある。そうでなければ労働者が不必要に疲弊する。まずはここの是正をお願いしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?