雇用を増やさないで儲ける企業はカッコ悪い

バブル崩壊までの日本の戦後社会は「民間によるベーシックインカム」がある程度機能していた社会なのかな、と思ったり。働きのよい人ばかりではなかったけど、年功序列で給料がみんな一応上がり、それなりに暮らせた。企業はどこも雇用を最重視。首切りに対しては非常に世間の目が厳しかった。

バブル崩壊して四年ほどした頃、「悪平等」という言葉が流行りだした。働きのよい人間と悪い人間の給料に大きな違いがないのは悪平等だ、と。90年代、不良債権で苦しんだ日本はバブルの頃のような羽振りは利かず、再浮上の口実に「悪平等の打破」がささやかれるように。

山一証券破綻(97年)でよく話題になったのが「よい部長ができます」。山一証券がなくなり、再就職活動を始めた幹部の言葉。特技は何か尋ねられてるのに、こうしか答えられなかった、と。特技も言えないのに同じ待遇を求めるのに呆れる、という記事が話題になった。悪平等の声が盛んになり始めた。

日産のトップにカルロス・ゴーン氏が就任。これをきっかけに全日本的に「リストラ」が行われた。どこの企業もリストラと称しては早期退職を大募集。それを促す言い訳なのか、起業やイノベーションという言葉も日常会話に。終身雇用も時代遅れ、などと言われるように。

ゴーン・ショック後、日本ではすっかりリストラが当たり前になり、経営者は雇用を守る意欲が低下した。雇用は利益を生む原動力ではなく、「コスト」と見なされるように。いかに雇う人間を減らし、利益を少人数だけで牛耳るか、それが経営手腕とされるように。株主優遇がそれに拍車をかけた。

しかし、「リストラ」が始まってから日本企業は強まるどころか、弱くなったように思う。90年代から2000年代初頭まで、日本は「経済は一流、政治は二流(三流)」という言葉が流行るほど、経済はしっかりしていた。デジカメなどの世界を席巻する商品群があった。

リストラは優れた技術者を中国など新興国に「輸出」し、技術的優位を破壊することになった。雇用を守らなくなったことで非正規雇用が増え、日本人全体の収入が減り、購買力が低下。デフレが常態化することに。

GAFAがもてはやされているが、ある意味、ずるいと言える。検索やSNSなど無料サービスで人気を集め、それにより広告効果を上げ、広告で儲けるように。ネット企業はシステムさえ作ってしまえば人を雇わなくて済む。広告収入は少人数で総取り。

他方、新聞やテレビはこれまでの流れもあり、雇用を維持しなければならない。いろんなことを有料にしなくてはやってけない。人を雇わないネット企業はその分、ずるいと言える。

私は、これらネット企業に雇用を求めるのがよいように思う。そのために有料化するサービスが増えるかもしれない。けれどそれで雇用が増え、国民の購買力が増すなら、国民全体の経済は向上する。無料という究極ダンピングの問題点をもう一度よく考える必要があるように思う。

景気のよい企業はその分、雇用を増やす社会的責任がある。そんな社会的共通認識が戦後日本社会にはあった。それを見直してもよいのではなかろうか。実際、国や自治体は、羽振りのよい企業には雇用を強く求めるのが戦後昭和の常識だったようだ。

また、経営者も、たくさんの雇用を抱えることを誇りにしていた。雇用することが「かっこいい」という社会的コンセンサスを取り戻してもよいのでは。その視点でいくと、GAFAはズルいし、超カッコ悪い。

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