株主資本主義は労働者を奴隷化する

「会社は株主の所有物」と主張する株主資本主義の人とのやり取りでようやく気がついた。株主資本主義は、形を変えた奴隷制度と言えるだろう。「奴隷は主人の所有物、だから奴隷の稼ぎは主人のもの」というのと同じ構造。「会社」をワンクッション置くだけで、事実上、労働者を奴隷化できる。

近代化の歴史の中で、奴隷制度は非人間的だと否定されてきた。しかし企業、会社組織というのは資本主義では当然の組織とされてきた。けれど、「会社は株主のもの」というリクツを認めてしまうと、その会社の労働者は、主人たる株主に自分の稼ぎを全部吸い取られる奴隷に陥ってしまう。

その点で、株主資本主義は非人間的な思考の上に成り立っていると言えるだろう。私は、会社を「公器」(社会をよくするための仕組み、その中で生きる人々の生活を守る仕組み)としてとらえ直すべきだと思う。なんで現代で奴隷制度を積極的に認める必要があるのか?私は必要ないと思う。

「それが資本主義だ」と主張する人は、私は奴隷制度を肯定しようとしている人間とみなしてよいのではないか、と思う。奴隷制度が資本主義だ、というのは、資本主義を狭くとらえすぎている。資本主義は、資本をうまく活用する仕組みというだけで、株主資本主義だけを意味するものではない。

アダム・スミスは「神の手(見えざる手)」を主張した、資本主義ではなるべく競争に任せた方がよいのだ、政府がいらん手出しをしないほうがよいのだ、と主張する人がいる。しかし「諸国民の富」を読み通すと、それは非常に狭い読み方のようにしか思えない。

スミスの言っている「見えざる手」は、老子の「大国を治めるには小魚を煮るようにした方がよい(大国を治るは小鮮を煮るが如し)」と同じ意味だと思う。小魚を煮るとき、あまり箸でつつくと煮崩れしてしまう。だからいったん煮始めたらいじるな、大きな国を治めるのも同様だ、という言葉。

スミスの主張である「あんまり干渉しなさんな」というのも、このことわざと同様だと思う。ただ、干渉しなさんな、とはいえ、小魚を煮るには鍋を用意し、小魚を鍋の中で並べ、水と調味料を注ぎ、火にかけなければならない。手を出さないのは、煮始めたらつつかない、という点だけで、他は手出しまくり。

いったん煮始めたら変に手を出すな、というのと同じで、スミスの「見えざる手」も、うまく規制などを設計した後は、変に細かく口出しするようなのは控えなさい、という意味だろう。だから、スミスは適切な規制を施すのを否定していない。否定しているのは、王様の気まぐれで出る命令の方。

ではなぜ株主資本主義の人たちは規制を緩和しろ、なんなら撤廃しろというのか。政府が国民を保護するのをやめて、国民を奴隷として支配する権利を金持ちに寄越せ、と言っているようなものだろう。つまり、自由に株主が搾取できるように管理監督を弱めろ、と言っているようなもの。

昔、ヨーロッパでは徴税権を王様から奪い、住民から税金を搾り取って私腹を肥やす人間がたくさん現れた時代があったという。株主資本主義は、国から徴税権を奪い、株主が労働者を奴隷化して、その稼ぎを懐に入れるという仕組みのことだと言ってよいだろう。

私は必ずしも株主の存在を否定しない。働く労働者に、ゆとりある生活が可能なだけの稼ぎが企業で出せるように資金的に支援する株主は、とても歓迎すべきことだと思う。ところが株主資本主義の人たちは、労働者が貧困であえいでもその稼ぎを株主に配当させようとする。これではまるで寄生虫。

つまり、労働者を豊かにする、共存共栄をはかれる株主と、労働者の生き血を吸う寄生虫的な株主の2種類がいるように思う。後者を株主資本主義者と呼ぶとよいのではないかと思う。私は、こうした株主資本主義の考え方は、社会を暗くし、多くの人々を貧困に苦しめる結果になるように思う。

また、株主資本主義のマズいのは、富裕層への憎しみを社会の中に育ててしまうことだ。私は、富裕層はいても構わないと思う。労働者の生活を損なうようなことをしないなら、一向にいてもらって構わない。けれど、株主資本主義は労働者を奴隷化し、その稼ぎを自分の懐に入れようとしてしまう。

こうした株主資本主義の考え方が広がると、労働者は次第に富裕層を憎むようになるだろう。その憎しみがポピュリズムを生み、ナチスや共産主義のような極端な思想が人気を得て、富裕層を血祭りにし、全財産を没収してしまえ、という運動が生まれるのだと思う。株主資本主義はナチズム・共産主義の母。

実際、戦前でナチズムや共産主義が台頭した原因は、株主資本主義によって労働者が低賃金にあえぎ、株主である資本家がやたらと儲けて、その格差の大きさに憎しみが増幅し、その支持を得てナチズムや共産主義が生まれた。株主資本主義こそ、ナチズムや共産主義の生みの親だと言ってよいだろう。

そして、ナチズムや共産主義は富裕層を目の敵にし、虐殺し、全財産を没収した。そう、株主資本主義こそが、そうした極端な社会体制を招く原因だった。だからこそ私は、多くの場合株主でもある富裕層の方々に警告したい。ナチズムや共産主義のように、富裕層を皆殺しにする思想が台頭してよいのか?と。

株主資本主義を野放しにすると、どうしてもナチズムや共産主義のように、金持ち憎しの思想を生み出してしまう。「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないけれど、富裕層を殺す社会運動は、一見富裕層を肥やすかに見える株主資本主義が招くのだという歴史的教訓から学んでいただきたい。

そうした不幸を招かないようにするには、労働者を奴隷化し、貧困化に追いやる株主資本主義に一定の歯止めをかけることを考えて頂く必要がある。労働者を奴隷化し、株主を主人であるという考え方を修正する必要がある。労働者もゆとりある生活を送れる仕組みを第一に考えてもらう必要がある。

私はこれまでに何度も警告してきた。私はお金持ち、富裕層の人たちにも死んでほしくない。しかし、株主資本主義を野放しにすれば、必ずと言ってよいほどその反動を招き、富裕層憎しの社会思想が世を覆うことになり、富裕層は虐殺・全財産没収の憂き目を見ることになるだろう。それは避けて頂きたい。

だから、株主だけ肥え太り、労働者が貧しくなるような株主資本主義は、改めて頂きたい。それは社会的ひずみをあまりに大きくする。同じ日本社会に生きる人々が、誰もが多少のゆとりをもって生きていける社会をデザインする。そのことがとても大切であるということの共通意識を持って頂きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?