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「〇〇感」の多くは本人の思い込み(本質を伝える#37)

事実と思い込みで注意すべきは"感"の有無

例えば"義務"と"義務感"
義務なのか、義務と思い込んでいるのか

"感"が付く言葉の意味は自分の中だけの定義である

義務感が義務に対して正しく機能していれば問題ない

問題は義務だと思い込んで義務感を持ち「囚われている」場合

それに囚われて本当にすべき事が出来ないのは本末転倒

しんさんの本質を伝える解説

義務感、責任感、劣等感、緊張感等々、のように〇〇感という言葉は沢山あります。

これらの言葉を自分に対して使っている人がいれば、一度考えてみてください。

そもそも義務感って何でしょうか。
辞書で調べたところ、広辞苑、大辞泉、新辞林等の国語辞典にこの言葉は載っていません。

唯一大辞林のみに載っていました。
その内容は、

<義務感>
義務であると認識する気持ち。

との事です。

おそらく「義務感」というのは正式な日本語ではなく、ここ十数年で出現した言葉ではないかと思われます。

さて、大辞林曰く「義務であると認識する気持ち」との事。「義務である」と「認識する気持ち」って事は、「義務ではないものを自分で義務だと思う」という事と解釈出来ます。実際、「義務感」という言葉を使ったり、思っている人は大辞林の表現の通りだと思います。

「義務」でもないのに、「義務だ」と思っている所が問題だと私は思っています。

もちろん、それを認識して自分自身に「義務」だと課し、それを遂行するのであれば問題はないです。

一方、多くの人が「義務感」を根拠が無く、感覚で義務を持っています。
義務でもない事に関し、自分で義務だと思い込み、それに囚われて本当にすべき事が出来ない人を多く見ます。

なんとなくの雰囲気で自分に義務があるのだという思い込み、こういう役職なのだからやらなきゃいけないのだという思い込み。

それらの思い込みをちゃんと自分で仕分けして、本当に自分にとって義務なものを義務として遂行しましょう。

同様に、責任感も同じです。
自分が負っている責任なのか、それとも自分が勝手に思っている責任感なのか。

劣等感も同じです。
自分が劣っているのか、それとも自分が勝手に思い込んでいるのか。

他にも〇〇感は多くあります。

それらの〇〇感に囚われないように注意しましょう。

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